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上げてから落とす!日本マスコミのお家芸的マンネリズムが自滅を加速する

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こんばんは。今週はテレビも一般の新聞もスポーツ新聞も雑誌もある人のニュースばかり報じています。他にもっと重要なニュースは無いのかとつい考えてしまうくらい、いつでもどこでもその話ばかりです。

誰の何のニュースでしょうか?私より遙かに賢明な皆様は言わずもがな、おわかりですよね。そう。日産自動車の元会長カルロス・ゴーン氏の金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑と解任に関する一連の報道のことです。

元救世主カルロス・ゴーン氏

カルロス・ゴーン氏と言えば、日本では知らぬ人はあまりいないと言って過言で無いほど有名です。日産自動車*1の経営危機時代に、「日産」がフランスのルノー社と提携した際にゴーン氏はルノー社"上席副社長"の職にありました。提携後、1999年に日産自動車のCOOを現職と二足のわらじで就任、以降「日産」の"社長兼最高経営責任者"(CEO)、ルノー社の"取締役会長兼CEO"(PDG)、ルノー・日産アライアンス社の"会長兼最高経営責任者"(CEO)に就任しました。ゴーン氏はこのときから零落の一途にあった日産自動車を文字通りV字回復を実現した「救世主」として、日本のマスコミが喧伝しました。(元情報は以下のWikipediaページです)
https://ja.wikipedia.org/wiki/カルロス・ゴーンja.wikipedia.org

その結果ゴーン氏は長くその「救世主」としての立ち位置を不動のものとし続けてくることになりました。日本の国全体の不況が続く中(政府が認めるか否か日経株価平均価格の上昇に関わらず、かつての昭和時代の右上がりにはほど遠い実感しか湧かない状況)、明確な結果を出し続けるゴーン氏は数多の経営者の中で希有な存在でした。

一転して容疑者になったゴーン氏

冒頭に記したとおり、ゴーン氏は金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で逮捕されました。その状況を受け、「日産」は本日11月22日の臨時取締役会でゴーン氏の解任を決議しました。殆ど皆さんご存じですよね。

なぜなら嫌と言うほどあらゆるメディアを通じて連呼し続けられています。耳にたこが出来て「おいおい、そんな分かりきっていること書かないでくれよ。もう見るのも聞くのも勘弁してくれ」というほどに嫌気が差しているかもしれません。

でも、今はそうでも少し未来になれば「今年の出来事TOPなんとか」扱いになり、日本の年号が変わる予定の2019年5月以降あたりだと「あったね、そんなこと」とか「あー、はいはい」とか軽めの扱いになるような気もします。更に先に10年くらい経てば関連する続報やら深掘りがあっても「誰だっけ?知らないな」という人も必ず出てくるでしょう。ですので、くどくどと今現在の常識的なことを書き連ねています。
www.nikkei.com

もし、ご存じない方がいらっしゃってこの文章を読んでいるなら不快ですよね。ごめんなさい。でも、今このときに日本に住んでいるなり滞在しているなら恐らくはこのことを知らない人は殆どいないでしょう。海外であってもアジアのローカルニュース扱いではなく大きく扱われています。

一言で言えばゴーン氏は、救世主から一転して「元」救世主となり、会長から一転して解任された「元」会長になり、誉れ高い合うべき理想の成功者像から一転して容疑者と報じられるようになりました。メディアは確かに容疑者を連呼し、過去に褒めそやされた「日産リバイバルプラン」の映像や「カルロス・ゴーン物語」的なコンテンツをメディアミックスで手を変え品を変え自らの収入源にしていたことをまるで巨悪を包み隠す仮の姿のように扱っているようです。また同時に2010年以降のゴーン氏の偉功の陰りを我こそはその当時から決定的な問題と指摘してきたような論調で報じています。

私が無知であるという前提はあるにしても手のひら返しが凄まじい

今日の解任報道ではこのような内容が書かれています。


「長年、実力者として君臨してきた弊害は大きい。企業統治(コーポレートガバナンス)が形骸化していた」。19日夜に横浜市内の本社で開かれた緊急会見。西川(さいかわ)広人社長はこう述べ、社外取締役を中心に第三者の専門家を入れた委員会を立ち上げ、事件の背景などを調査して再発防止につなげる方針を示した。(中略)特に3社連合は制度よりも、ゴーン容疑者の個人的なリーダーシップに依存。西川氏は「(ゴーン容疑者の逮捕は)3社のパートナーシップに影響を与える性格の事案ではない」と強調した…

同記事では西川氏の発言に対して強調したが、額面通りには受け取れない。ゴーン容疑者は、3社を束ねる“扇の要”であり、ルノーを通じたフランス政府による日産への経営介入にも防波堤としての役割を果たしてきたからだ。と以降の文脈で疑問を投げかけてはいます。しかし、記事タイトルはその指摘の色合いは殆ど読み取れず「失墜」「崩壊」「逮捕」という印象の極めて悪い言葉が目を引くようにちりばめられています。

西川氏もここぞとばかりに社に害が及ばぬようゴーン氏を「君臨」「弊害」と言い切り功績そのものより害が大きかったような印象を受け取れる表現をしていますし、記事も完成検査をめぐる一連の不正に続くカリスマ経営者の失墜は、日産の経営の先行きにも影を落としている。とタイトルに重なる暗澹たる未来が固まったように見える書き方をしています。勿論それは受け取り方次第だという言い訳の余地も残していますけれど、私には確信犯的に「上げてから落とす!日本のマスコミのお家芸的マンネリズム」に見事に準じているように見えてしまいます。

長くなるので一件しか例示しませんが、これは産経新聞だからという話ではありません。まあ記録を残さないとWebも放送のアーカイブも無かったことになるような気もしますが、これは今回に限った話ではありません。

既存のマスメディアの脆弱化、変化要求への反発が背景にあるのかも

昭和時代の右肩上がり日本経済の勢いの喪失を追いかけるように、日本のマスメディアは影響力を明確に激減しています。勿論当事者は数字がどうあがろうと解釈を変えてでも事実とは認めないように動きがちですし、人間は基本的に変化を好む方が割合的に少ない筈です。この既存メディアの影響力減や外的な変化の要請がある状況は日本に限定したものではありません。


Almost half of publishers (44%) say they are more worried about the power and influence of platforms than this time last year. Only 7% are less worried. Publishers feel more negatively towards Facebook and Snapchat than they do about Twitter and Google.

Despite this, publishers also blame themselves for their ongoing difficulties. The biggest barriers to success, they say, are not tech platforms but internal factors (36%) such as resistance to change and inability to innovate.

上記の通り44%のジャーナリストはSNSや新興のWebメディアに脅威や不安を感じています。その一方で内部要因やジャーナリスト他の構成する人達の変化への抵抗が障壁となり、変化出来ないという困難さを抱えているのです。

まあ、日本の新聞は世界と比較しても異常な規模の部数を誇っていますし、落ちたりと言えどテレビやラジオの影響力は個々のWebサイトの影響力と比較にならないリーチと視聴者を確保していますから、「他国とは事情が違う」と虚勢を張ることも出来ます。また、SNSなどで間違った情報を広く伝播して害をなすフェイクニュースを挙げては、対象的に位置付けることで陰に陽に既存メディアの価値(例えば、情報収集力、性差能力による正確性の高い情報の共有)をアピールしたりします。

その中でも過去からの多くの人達にウケやすいシナリオの一つが今回の「上げてから落とす!日本マスコミのお家芸的マンネリズム」です。分かりやすいんですけど、本当にそれが今も望まれているのか、受け取り手に本当に要求されているのかよく顧みて欲しいです。何故、不正確でフェイクニュースがおり混ざることも多々あるWeb情報が受け入れられ購読率や視聴率、聴取率が落ちているか真面目に向き合っていますか?

危機感が強烈にあるのに、優秀と言われる人材が沢山いるのです。それなのに、現実的な指摘を否定したり、他を貶めたり、購読率が下がる若者を様々な切り口でディスってみたりして、あえて自ら茹でガエルの未来を選択する日本のメディアのあり方が不思議でなりません。この傾向は私には「日産」や「ゴーン氏」に限らずあらゆる報道の現場で類似し、繰り返し続けられているように見えます。

*1:以降、「日産」と表記