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気をつけよう!Webには「煽らないと死ぬ病」や「逆張りしないと死ぬ病」の重病患者が沢山いる

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こんばんは。このタイトル自体が煽りっぽく読めてしまう人、ちょっとヤバいです。いや、かなりヤバいです。Webは煽らないと死ぬ病や逆張りしないと死ぬ病の自覚症状が出ている人じゃない場合は「あー、よく見かけるよね!」って思うだけでこのタイトルに感情を揺さぶられる要素全然ありませんからね。

「謝ると死ぬ病」って例えがありますよね

「謝ると死ぬ病」とは、何かとんでもなく間違えていることをやらかしてしまって、誰がどう見ても間違いが明確であるのに関わらず「ごめんなさい」の一言が絞り出せない人を揶揄した表現です。

実際にそんなことで死ぬほど人間は変な性質を持ち合わせていない筈ですが、まあとにかく謝ることは絶対にしないのです。もう少し穏当な表現をするなら「謝るととことん敗北したような心持ちになるのが惨めで嫌だから謝るという行為は出来ない心持ちになっている」ということじゃないでしょうか?

ただ、実際のところその内実は多様であると思います。同じように揶揄されていても「これはどうなの?」と思うくらい病的なほど謝罪を忌避するケースもあれば、なんか寄って集って煽られまくって「これは謝る気にならないんじゃないかな。気の毒に」と思うケースもあります。共通しているのは、この表現を繰り出すのは100%優勢でどこをどういたぶってももう反撃は無いと確信している側であることと、傍で見ていると胸糞悪くなるところです。

確かに衝突し話がこじれた際や理不尽な目に遭った際に感情が高ぶってしまい、自分で歯止めが聞かなくなってしまうというのも分かります。でも、追い詰めてマウンティングしていたぶるあたりまで行くと、損得関係の無い立ち位置で冷静に眺めると「つまんないことに拘っているなあ」と内心思ってしまうことも少なくありません。

Webがもっと意味のある前向きなもう一つの世界になっていくことを信じていたときが私にもありました

今でこそすれっからしみたいになってしまって半グレ状態の私ですが、Webという場所がまるで希望に溢れた開拓地のように思っていた頃がありました。商用のパソコン通信の妙に狭っちい縄張り感や自意識肥大な古株が牢名主みたいに振る舞っているのが嫌で嫌でしょうが無くなった頃、WWWが一般向けに普及し始めました。ですので、私は何にも無い荒野みたいなWebならパソコン通信の隣組みたいな陰湿な繋がりから解放されて、より自由で良い場所が出来ることを期待していました。

でも、結局のところ場所が新しく作られようが、その場所で遊ぶ人達の心の持ちようや行動が変わらない限り同じなのだなということをすぐに思い知りました。人が少ないときは、他の人と言葉を交わすだけで何か同志みたいな連帯感を妄想したのですが、それは結局ただの儚い妄想でした。人が増えるにつれ、結局そこにいる人達の自意識肥大は燎原の火のように燃え広がりました。結局、私が忌み嫌った隣組みたいな息苦しさは、規模を大きくした分だけたちの悪い物となってのしかかるようになりました。

私自身も、承認欲求は人並み以上に肥大していましたしやることなすことろくでもありませんでした。今も性根は変わらないので同じ穴の狢ではあります。要は同類相哀れむじゃなく、同族嫌悪や自己嫌悪です。

気をつけよう!Webには「煽らないと死ぬ病」や「逆張りしないと死ぬ病」の重病患者が沢山いる

さて、ようやく表題についてです。「謝ると死ぬ病」もなかなか厄介な行動ですが、それより遙かに面倒くさくて近づきたくないのが「煽らないと死ぬ病」や「逆張りしないと死ぬ病」です。読んでみたままで、普段から他の誰かを煽っていないと気が済まなくなってしまったり、とにかくへそ曲がりで他の人の言うことの逆張りをしないと気が済まなくなってしまったりするのです。

別にこの症状自体は普段からWebを使うような人にとって風邪みたいなものです。ほぼ必ず罹(かか)ってしまうし、直ったり、また罹ったりを繰り返すものです。それだけならぎりぎりセーフ。ただ、慢性的になると話は別です。重病になると四六時中他の誰かを煽ったり、逆張りしていないと自分を見失ってしまうほど不安になったり、自分の価値が下がるように信じ始めてしまいます。

自分で無い誰か、親しい誰か以外が重病の「煽らないと死ぬ病」や「逆張りしないと死ぬ病」でのたうち回るだけなら、正直私にとってどうでも良いのです。私の視界や行動範囲内で干渉してこなければ、知ったことではありません。

しかし、この病気にかかった人には自分以外の媒体となる相手が必ずいます。煽るためには煽られる対象が必要です。逆張りするには逆張りされる対象が必要です。言葉を選ばないで表現すると、この病気は他者への寄生を前提として自分が少しでも気持ちよくなるために好きに宿主がすり切れるまで使おうとする病気なのです。宿主にされた方はたまりません。

更に度しがたいのは、この病気はターゲットにされた宿主や傍観している野次馬に極めて高い確率で感染することです。

Webにはこの病気に罹った重症患者が沢山徘徊しています。そして、何をどう間違えたのか重症患者ほどいっちょ咬みで色んな事に一言言うと喝采されたりするものだから、変に味をしめてますますもっておかしい方向へ突き進んでしまったりします。

そうなるともう駄目です。煮ても焼いても食えない危険なWeb有名人になってしまいます。まかり間違ってそういう人に近づいたり噛みつかれると無意味に時間や精神が消耗され感染リスクが高くなります。「なんか人気があるみたいだけど、この人ちょっと変だなあ」と少しでも感じたなら即座に逃げ出すことを強くお勧めします。

Webなんて楽しんだ者だけが幸せになれる場所なので、はなっから議論や共感を期待してはいけません。それはあくまでとってもとっても幸運に恵まれた結果であって目指すべき目標、目的ではありません。まして、「煽らないと死ぬ病」や「逆張りしないと死ぬ病」の重病患者が沢山いるWebでそういう隙を見せるのは、活きている地雷原をスキップするのと大差ありません。少し臆病なくらいがちょうど良いのだと私は思いますよ。

よく仕事上の面倒くさい人は指摘されるけど

確かに仕事上の面倒くさい人というのも厄介ですが、縁もゆかりも無いような人が通り魔のように糞リプを送ってきたり、或いは知識もろくに無い分野のことでトンチンカンなことを主張して「何か言ってやったぞ」的に振る舞う一言居士がネット上には腐るほど一杯います。おかげで大抵の人はその病気に冒されている体たらくです。人の振り見て我が振り直すのは難しいかもしれませんが、そんな幼稚な言動は結局自分にとって損だと思います。

この本に載っているような困った人と同根なので参考にいかがでしょうか?