第三者の会社からマナーを云々言われる私たちは異常なのかも
今朝は今朝とて私は通勤しています。その途上、東京メトロの車内にあるマナー広告を見つけました。「あなたのスマホ、誰かの背中や肩に当たっていませんか?」
これは、私が常々迷惑だなあと思っていたことなので、内心ですが激しく首を激しく縦に振りました。今は老若男女問わずスマホを持ち歩き、ところ構わずスマホを弄るのが当たり前になった世の中です。
そんなことを言い出す私はどうしているか?
私とて、この記事を車内で書いているのです。そりゃ皆移動中暇だからゲームしたりSNSしたり音楽を聴いたり動画を鑑賞しますよ。もしかしたら、仕事もやってるかもしれません。
でも、私は座っている人の前でつり革を持ちつつ、前の空間を使っても差し支えない時にしかスマホを取り出しません。
大多数のスマホ弄りは私にはこう見えます
一方、多くの人は混雑で押し合いへし合いしている状況でも構わずスマホ弄りに没頭してしまうのです。
もしかすると最初は周りに気を遣っていたのかもしれません。でも、毎日そうやっていると慣れてきます。他のたくさんの人も同じようにどんな状況でも、いかなる変態的姿勢に陥ろうともスマホ弄りに熱中しているのですから、自分も良いよねと思うのは自然の成り行きでしょう。
でも、背中や肩に押しつけるのは止めてよ!
そういう状況ですから、気がついていないのか気がついているのか判然としませんが、赤の他人の背中をスマホ台にしてしまう人が多く現れます。
前者ならば鈍感で無神経、後者なら図々しく無神経、いずれにせよ自分が良ければそれで良いという思考に陥っています。
少なくとも私は彼ら彼女らに肩や背中をスマホ提供する謂われも義理も全くありません。小心者なので声もかけられずイライラしながら耐えているのが普段の有様です。
恐ろしいことに電車が揺れて、押しつけられていたスマホの画面が読めなくなると何故か私の方に睨んだり舌打ちしたりする始末です。いかんともし難く理不尽です。
第三者の会社からマナーを云々言われる私たちは異常なのかも
前置きの状況説明が長くなりましたが、私が今回伝えたいのはこれです。
確かに私は迷惑だなあと思っています。それを代弁してくれるマナー広告は有難いなあと思いつつも、我が身の不甲斐なさが情けなくなります。
問題があるならば、当事者間で解決するのが良いのです。嫌だなあ、困っていると思えば、そう伝えれば良いのです。ただ、それをすることのリスクや面倒さで目をつぶっていたところに第三者が介入してくれるのは有難いけど歪んでいます。
空気を読むと言う言葉がありますが、大事なことはくうきでは伝わりません。伝わるだろうと片思いをしたところで、失恋して怨念になるのが関の山です。
これは、迷惑行為をする人も、それをいやがりつつ何もしない人双方共に極めて幼稚だということに他なりません。先日他人に物事を伝えるのは難しいと書きましたが、だからといって諦めてため息をついたり身勝手を当たり前と思って好きにたにんに甘えるのは非建設的だと思うのです。