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ひそかに貪欲に憧れる私のつぶやき

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お題をいただきました、「貪欲の秋」。お題「貪欲の秋」

貪欲ってどんなイメージ、どんな意味?

貪欲という言葉は、見た目あまり良い感じはしません。強欲という意味を含んでいて、過剰に欲する、やり過ぎ感がニュアンスとして強いからです。例えば、他人から略奪するとか、他人の不幸はいざ知らずという利己的な欲求を指したりすることがあります。

しかし、その一方で飽きることなく深く長く欲するという意味も持ちます。「それも良くないイメージじゃん!」と思われるかもしれませんが、私はこの意味での貪欲を持つことができる人がとても羨ましい。憧れているといっても差し支えありません。

なぜ私は貪欲に憧れるのか?

貪欲の逆は無欲とか恬淡とか清貧的な単語が並びます。ある意味格好いいです。でも、自分が持つ属性としては「小欲」が近い。「小欲」とは「欲求が少ない、無欲である」という意味にくわえ「目標がない」を併せ持ちます。

目標があるというのは自分が目指すべき物、自分にとっての大事な物を明確に持つということです。私はそういったことを考えるのがとてもとても苦手なのです。

時間とお金をあげるから何か自由に好きにやっていいよ…と言われたとしましょう。勿論私にだって欲しい物の一つや二つはあります。だから、多分それらを手に入れます。しかし、そこから先がありません。手に入れて一通り使ったり確かめたら、それで満足してしまうのです。

貪欲であるならば、まず飽きると言うことが無いのです。手に入れるプロセスだけではなく、余すこと無く使い尽くしたり、それを使って更に先を作ったり繋げたりを続けます。もうこれでいいや、ではなく、まだまだ足りないになるのです。欲とは色々なことを現実に起こすための素地です。それ自体に良い悪いはありません。

その観点で私は貪欲という才能に憧れを抱いています。

無欲とはいいがたい凡俗だけれど

こう書くと、私のことを生けるシカバネみたいに見てしまうかもしれません。いやいや、そこまではいきません。普段の生活を送る中で欲しいものは色々とああります。およそ人間の五欲はそろえています。ただ、先に書いたようにそこから先が無いのです。欲求の継続性とか、活力みたいな物があまりありません。

だからだと思います。小さい頃から今に至るまでガツガツした人、欲求を隠さない人は苦手です。そりが合わないというのも大きいですが、その裏には嫉妬というか羨みがあるのだと思います。

さて、お題には秋もありましたね

ベタに秋と飽きをかけてしめるという寒い終わらせ方を考えていましたが、我ながらそれは筋が悪すぎる気もします。

とりあえず私は秋の夜長、本を読みながら、自分が今持っている物を良く見直して見ようと考えています。新しく得るために執着することも活力です。それだけではなく、今この手の中にある大事な物を見つめ直し、より深く大切にするということもまた必要なことだと思うのです。

なんかシミジミした語りになりましたが、たまには普段しないような思索をするのも気分が変わって面白いじゃありませんか?