Publish while resting-ぐだぐだわーくす

BLOG that considers the world funny conquest. Worship me (* 'ω' *

バンバンちゃんと私

さて、私が自分と特定の誰かのことを素直に語ることは実はかなり珍しいことなのだけれど(多分その筈と自分では思っている)、今回は書いてみたい。理由はとある記事を読み込み思うところがあったからです。

その記事とは一年以上前に書かれ、私の目に映ったのは本当につい先ほどのことです。それを読んだ私は矢も楯もたまらずなりました。私にとって頭がおかしくなるほどの期間は本当に辛いことの連続でしたけど、その間ずっと場所を守り続けてくれた方への返礼として言葉を綴りたいのです。

私信そのものを公開するようなもので読む方には面白みが少ないだろうことを申し訳なく思いますが、何卒気持ちを汲み取って下さいますようお願いいたします。まあ、寝言ですよ、そう思って頂ければ本望です。

私が今Webに戻ってきた理由

ここは嘘でも仲間のためというのが恰好良いのですけど、それはちょっと違います。私がWebに戻ってくるのは私が生きている以上宿業のようなものです。私は何か文字を書き連ねていないと私の記憶や感じた事々を失ってしまう恐怖感をごく若いころから持っています。私には長期的な記憶力も短期的な記憶力も非常に乏しいのです。これは恥じるものではありません。

親からも家族からも友人としてきた人達からもただの知人や通りすがりの人からも指摘され、私自身も自覚する単なる事実です。病的というほどでは無く注意力散漫というレベルなのかもしれませんが私は物事をすぐ忘れてしまいます。

ですから、私は自分がその時感じたことや知ったことを思い出せるように色々と書き残す癖がついています。それは未来の私に向けての覚書です。

これは儚い愚かしい行為なのでしょう。人の記憶とはそんなに簡単に記録できるものではありませんし、文字に落した時点、そこから理解し直した時点、更に時間を経過した時点、様々な状況が重なり合い劣化するのは必然です。しかしながら、私が少しでもその時の記憶を取り戻すためには書き残し、他者に問合せ、ようやく記憶らしきものを留める。それで良しとするのが私にとっての記憶のありようだからです。

その観点でWebというのは比較的都合が良い環境であるというのが理由です。私にとって現状代替が思いつかない。ですから、今はWebに戻ってくるしか無いと言う身もふたもないのが私の事情です。

そうとはいえ愛着はあります

私は別にWebじゃなくても私の記憶に整合が保つことが出来るなら他の全ての思いつく限りのものを使います。そうとはいえ愛着はあります。

何故なら私にとってWWWは商用化したほぼ直後から利用している環境ですし、Nifty-Serveから飛び出して以降様々な変遷を経て居続ける場所でした。私の記憶があやふやということもありますが、少なくとも1994年以降からWebで活動をしていました。ですからはてなが云々、Twitterが云々ではなく、恐ろしく原始的なテキストから「適宜覚書」という書き物は始まっていて、その亜種である「ぐだぐだわーくす」は今ここにあります。

「だから何?古参ぶりたいの?」という問いには明確に「No」です。正直私はその利用の当初より興味があったのは私にとっての記憶の可能な範囲での保持でしたし、今でもその原則は大きく変わってはいません。そりゃ人間ですから、自己顕示欲や承認欲求も無いではありませんでしたが、私には恐怖感がまず圧倒的にありましたしそれは永劫変わらないでしょう。

そういった背景の中で私なりに他者とも関わってきました。お察しでしょうが、長い期間の割に私には友人はもとより知人ですらも数少ないのです。そういった中で縁があって一時期でも仲良くさせて頂いた方とは細々と長くお付き合いさせて頂いています。彼ら彼女らと繋がるうえでもWebはかけがえのない通り道として機能してきました。未来は分かりませんが今々すぐにWWWが消失したら私は呆然となると思います。

前置きが恐ろしく長くなりましたが本題「バンバンちゃんと私」

閑話休題というにはあまりに長すぎる前置きですが、私のバックグラウンドを少しでもお伝えしておいた方が良いかと思いました。

「バンバンちゃん」と私のハンドルネーム

さて、表題の「バンバンちゃん」とはジョヴァンナさん(id:giovannna)という私の友人のことです。彼女は私が2017年11月から2018年11月までの約1年Web上で行動不能になった際に私の居場所を守っていてくださいました。
something-new.hatenablog.com

私にとってこの時の詳細の記憶は最早定かでないところがありますから、この書いて頂いたブログ記事を引用しつつ返礼の形を取りたいと思います。ダラダラし続けますが本当にすみません。


私自分のニックネームを適当につけちゃったこと、少し後悔してます。まさかこんなにブロガー同士で関わって日常的に呼ばれると思わず、呼びづらい名前をつけてしまいました。

由来は『銀河鉄道の夜』をモチーフにした小説『賢治先生 (河出文庫)』から。少年とも少女ともつかないジョヴァンナっていう子が登場するんですが、ワガママで奔放で意地悪なところすらある。でも、なんだか魅力的なんですよね。

そういう由来だったのですね。正直最初は何故「ヴァ」なのか拘りを感じつつひとしきり悩んだことを思い出しました。

私のハンドルネーム「DAC」はNifty-Serveでの活動時につけたものですから1992年かれこれ21年名乗っています。元々は「あひる」を文字っていた間抜けな感じだったのですが、途中からこじつけでデジタルとアナログの変換をする機構の意味合いであるということにしました。我ながら失笑を招く名付けですが、今更変える訳にもいきません。その意味で少し後悔しているということは似ていますね。

「バンバンちゃん」と逆に呼びやすくはあるものの短すぎてドメイン名も他の人が取っていたので仕方なく「DAC's Collection Of Texts」として「DACCOT」と名乗る場合もたまにはあるようになりました。

「ヒャッハー委員会」と私


ダックちゃん、ホルスタインおじさんらのブロガーしばき合いバトルも、直接フォローはせず遠くから傍観してましたね。二人とも読者登録はしたけど、ブコメで拡散とかはしなかった。そんなスキルゼロ時代の出来事でした。

【勝利宣言】ブロガーしばきあいへの応援に感謝の気持ちを込めて - 教えて!ホルスタインおじさん!

元々はホルスタインおじさんと赤鬼さんのしばき合いだったんですよ。あまりに楽しそうでついつい横からクチバシをつっこみたくなりましてね。それこそ古参ヅラ丸出しにして乗り込んでいったのです。今思うと顔から火が出そうですが…まあ、数年単位でもこういう私の「やらかし」には枚挙にいとまがありません。

ただ、そうはいってもこのやり取りはとてもとても愉快痛快でした。折角の縁だし、これは周辺のはてな同期を巻き込んで続けて遊びたいと考えて企画したのが「ヒャッハー委員会」でした。

このような奇天烈な名前をしていること自体アイタタタタタでアタタタタヒデブ!!なのですが、それでも構わないのです。とにかく楽しく仲良くしたいという考えでかなり強引に距離を意識的に詰めたのは私も覚えています。

「バンバンちゃん」と私

出会いは酷かったようです。。。あまり認識無いんですが。。。


最初、一気に距離を詰められたからビビって「塩対応」しちゃったんですよね。

ダックちゃんが赤毛の女の子アイコンだった頃の話です。この人絶対に「女の子」ではないだろうなってキャラクターだしさ、なんだろうこの人は……って感じ。(この記事後で見つかったら、どやされるかも……!)

それが常識的な反応ですよ。少なくともWebでオープンマインドであろうとするのはリスクが高いです。まして女性であれば尚更です。だから、私に臆するという考えが今以上にありませんでした。

私が声をかけた人にはある程度共通点があるんですよ。それこそあまり言うと怒られそうな理由です。「恐らく繊細なんだろうな」「でも、何かWebに期待しているものがあってNewbieなんだろうなあ」「掘り起こせば怖いより興味が勝つんだろうなあ」と言ったザックリした目算がありました。外れたら外れたまで。でも、声掛けして六割OKなら大成功と思っていたんだけど、九割はほぼ即答して頂いた認識でした。


そうしたらダックちゃんが「中に入らないか」って誘ってくれて……1回目は断ったんだよ。でも一週間後にもう一度誘われたから、2回目はOKしました。
「塩対応」にしても「一回目は断った」というのも今一つピンと来ておらず、礼節を重んじて気を遣って拒絶を前面に出さないんだなあと思っていたくらいですから、ここは相当認識に差があるのでしょうね。


しかし、そこにダックちゃんが見知らぬブロガー(オトマックスさん)を巻き込んで二人が漫才みたいに掛け合いし始めたら、つい笑っちゃったんで、もう、すっかり術中に嵌まっていました。

友だちだったらいきなりこんなふうに巻き込みリプを送っていいんだ!と知った。

私は敵対的反応を楽しみにしているだろうはてなブックマーカという半ばサイコパスのような連中は大嫌いで虫未満だと思っていました(今は抜け殻も程々に消えつつありますが)が、普通に話が通じるブロガーは基本的に友達になることが出来ると確信していました。

まあ、はてなブログはちょうど私が再加入する二年前にマネタイズ世代が一世風靡していたので、そこの半端に成金みたいになっていた人たちとも仲良くするのは難しかったというのもあります。ただ、その中でも比較的言葉が通じて、常識的な判断が出来る人にはアプローチを強めていきました。

「ヒャッハー委員会」の当初メンバーは偶然に偶然が重なった奇跡的な結果であるともいえるし、必然的な帰結であったともいえると思います。

私はWebはおっかなびっくりくらいで丁度良いと思っていますし、「バンバンちゃん」が思うほど大胆には出来ていないような理解をしていますが、これも認識する人が違えば解釈が分かれることなのかもしれませんね。

やっぱり楽しかったなあ

別に思い出にするつもりは無いんですが、過去として振り返るに楽しかったという実感は確かにあります。


恥ずかしいから言及はしないけど、私は結構記事でもいじられてましたね~。新参者として可愛がってもらった自覚がある。

ダックちゃんが言うことにいちいち反応するから、おもしろかったんだろうなぁ。話しかけられると黙ってはいられない体質だから……。

思い出すと、おかしいです。

ほんの数か月前の出来事なんだけどね。

ここはご明察です。私には子どもが三人いるのですが、真ん中の次女とそっくりな反応を受け取りながら「可愛いなあ」「面白いなあ」と思っていました。そこは今や人妻の人に言う台詞では無いし、私も愛する人とずっと幸せに生きているので「可愛い」の意味合いはそういう感じというのが分かって頂ければ良いのですけど…。

私がこういう適当な人間だと知ったら失望されるかもとおっかなびっくり思うのですが、私は隠そうとしても隠せないような人格らしいです。(自覚はありませんし、そう指摘されると反発したくもなるのですけどね)ですので、下手な小細工や表づらではなく本音を書きました。冒頭書いたように私がこれを意識的に出すのは相当珍しいと自分では思っています。

一年越しではありますが、「ありがとう」

ぐだぐだと毎度以上に長くなりましたが、私があなた「バンバンちゃん」に伝えたい内容は簡潔にして単純です。「居場所を守ってくれてありがとう」「居場所を作ってくれてありがとう」それだけですがそれ以上に有り余る思いを伝えることが出来ない自分の表現力に少々残念な気持ちがしています。

でもね「ありがとう」。あなたがいてくれたから私は助けられたのかもしれません。多分助けてもらったのだと思います。

ありがとう。

そしてこれからもよろしくね。西野カナさんの「トリセツ」の歌詞じゃないけれど「取り扱いが簡単じゃない私だけれど、あなたの友達で良かった。ありがとう」そう一年越しに伝えたいと思いました。

これ後で読んだら消して穴掘って隠遁生活に入りかねなさそうだからここまでにしておきますね。

ではまた。