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批判ありき疑念ありきでは駄目!なにごとも一呼吸置いて捉えよう

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こんにちは、DACです。

批判ありき疑念ありきでは駄目というお話しを少しします。

電動アシスト付きベビーカーについての誤報・誤解

昨日の朝Twitterで憤る人を複数見かけた。曰く「大型の電動アシスト付きベビーカーは車道または路側帯を通るべきという経産省の判断が出た。危険なことくらいわかるだろう!非常識だ!」と大怒りである。お怒りの彼らは頭に血が上っている。目を真っ赤にしてしまった王蟲のような感じで動き出したら決して止まらない勢いだ。

しかし、自分は聞いた途端に「ええ?それ本当にそんなことを主張しているの?」と疑問に思った。彼らが主張するように常識的判断とは思えないし、その怒りの中にはベビーカー全般まで拡張して解釈しかねない勢いがあって「別の意味でこれ、まずいんじゃないの?」とまず身構えたのだ。

実際記事では以下のように事実性確認を取っている。


経済産業省に話を聞いたところ、今回の発表は、事業者が新たに導入する“電動アシスト機能を付加した6人乗りのベビーカー”の照会に対し、経済産業省が警察庁や国土交通省の見解を公開したもので、「現在販売している商品に対する内容ではありません」とのこと。また、軽車両と判断したベビーカーの詳細は公表できないが、「保育園などで使用している6人乗りのベビーカーに電動アシストが付いたものをイメージしていただければ」とした。

落ち着いて考えたい

まず、今現在リスクが存在しないことを落ち着いて考えたい。お怒りの方々が心配するベビーカーが現存して、杓子定規に車道にそれを持ち出して運用して車と接触して死傷事故を起こすような状況は存在しない。怒る理由は存在しない。

次に「そうはいってもこれから出るベビーカーで危険があるじゃないか!?」というお怒りに移行するかもしれない。確かにそうだ。しかし、この問い合わせはメーカーが行ったものだ。そのメーカーや競合するベビーカーメーカーはこの経産省回答を聞いて、それでも軽車両基準のベビーカーをそのまま作るだろうか?もし、仮にそのまま作ってしまった場合それは経産省の責任になるのだろうか?否である。そんな馬鹿な運用になることを分っていてベビーカーを開発し販売してしまうメーカー側に一義的に責任がある。そもそもそんなものが販売される前に関門があってしかるべきだろう。

批判ありき疑念ありきでは駄目

結局のところ今回の話は、理解する前提が間違えていたという話に過ぎない。

負けず嫌いの方は、経産省の見出しが良くないという責任転嫁は可能だ。『電動アシスト付ベビーカーに関する道路交通法及び道路運送車両法の取扱いが明確になりました~産業競争力強化法の「グレーゾーン解消制度」の活用~』という発表のタイトルには、サイズもなければ速度も書かれていない。本文も前提が書いてある訳ではないから、軽車両として扱われるならやっぱり危険なんじゃないかという結論に至るのはある程度は仕方ない。

しかし、書かれていることが全てかと言われればNOなのだ。そこに書かれていることが本当に妥当な表現だったのかというのは今後の懸案だとしても、解釈者がそれを杓子定規に受け取って怒りだしてしまう事には問題がある。誰もがそこまでやっていられないだろうが「わからないことや不明のことがあれば、判断を保留し確認する、会話する」という流れが自然であろう。そこを捨て去って、相手が悪いと言いつのることはあまりに不毛だ。

今回の話で少し考えさせられたのはマスコミ周辺の人々までその憤りに身を任せていたことだ。今回の事だけならばまだ良いけれど、一事が万事この調子だとすると事実性確認がプロの書き物でも眉に唾しなければならない。むしろ「お前がメディアを信用しすぎなんだよ」という指摘はごもっともだけれど、自分はそれでもメディアに一定以上の信頼を寄せている。その上で捉え方に更に慎重を要すると思わされた。

追記:正しさを求める気持ちはとても大事

誤解をしないでほしいことがある。

正しさを求めて怒りを感じた人のその姿勢は非常に尊い物だと言うことも書き置きたい。

今の世の中では、自分の喜怒哀楽を表現することがリスクになるところがある。それを判っていても尚、公のために怒る彼らの姿勢は決して貶めてはいけない。利害を考えて露わにしない人が大多数なのだから。

そこは間違えてはいけないし、汲み取らなければならない。

先に経産省の発表の真意をと書いたが、怒っている人達の怒りの源泉には、心配や懸念、より良くするためにはどうするかの煩悶がある。

これらは組み合わせ次第で衝突もするし、合一して更なる良い物を生み出す源泉にもなる。

だからこそ、勿体ない。もう一呼吸置こう。それだけで変わることもある。