Publish while resting-ぐだぐだわーくす

BLOG that considers the world funny conquest. Worship me (* 'ω' *

立派になる必要はない、ブログ運営で一番大事なのは自然体で更新出来ること

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こんにちは、DACです。

今回はブログの更新に関するオピニオンです。

元ネタとなるエントリ

www.rsk26.com

概要

読者数200名を超えた契機に考えていることを率直に出してみたりょうへいさんのエントリです。

PVを得るようになって同時に周辺のブログ、読者登録しているブログに感想を書いたり、TwitterなどのSNS上で交流したり、記事を書いたり、色々良い循環を作ってきた。そして、そういった良い状況の中で、がむしゃらに記事を更新して、前に進むことで僕の存在価値は見い出せる質も量もという考え楽しむ為には、楽しくなる為のリスクを負っていかなければいけませんという気づきと思いを持つようになったという告白をされています。

感想

全体として

とにかく真面目で清々しいくらい真っすぐなんだなあと好感を持って読みました。

一方ですごく心配にもなりました。ここまで真面目に前向きにならなくてもいいのに…とも思いました。自分が不真面目というのもありますけれど、あらん限りの時間、アテンションをブログに傾けすぎているようにも思いました。それは前に進むことで僕の存在価値は見い出せるあたりから強く感じ始めました。

人の存在価値はブログと直結しない

確かに自分が知っているりょうへいさんはブログを書いているりょうへいさんだけです。だから、ブログのエントリが無ければ、りょうへいさんの人となり、何を楽しみ、何を喜び、どういったことに興味を持って生きているのかを知ることは出来ません。だから、ブログを書いてこそりょうへいさんを知ることが出来るということは間違いではありません。閲覧者がブログを通してりょうへいさんの存在を見る訳で、アテンションを維持したり増加したりすることはきっと大事です。

でも、そもそもブログって伝達の一つの手段に過ぎないですよね。色々なことを伝えられるけど、そこに自分の存在意義を乗せちゃうと他はどうなるんだろう…って思うんです。

ブログに載っていないりょうへいさんだって沢山ある訳です。それを余すところなく乗せたいっていうなら、そのために時間を費やす考えもあるでしょう。個人的にはブログは数ある時間の使い方のごく一部であるべきと思っています。

時間の使い方

一日24時間ある中でどれだけをブログに費やすかはその人なりですけれど、沢山費やせば他のことに使える時間は必ず減ります。存在価値を乗せてしまうほど直結すると疲れ過ぎちゃう気がします。

普段の生活の一部として、ブログの運営を出来るようになるには練習が必要だと思います。息を吐くように出力するにはそのための環境作りや考え方、生活習慣を整える必要があります。でも、無理なく出来るようにならないと息切れして倒れた時にどちら側にも戻れなくなります。

例えば、別の例ですが、すごくすごく仕事を頑張っていた人が疲れすぎて休むとき「まだ頑張れます」「今日はご迷惑かけますけど明日から大丈夫です」とおっしゃいます。でも、その人が倒れるには蓄積したそれまでの疲れがあるんです。心も体も疲れ切っていて本人が自覚していないだけなんです。そうなると立ち上がれなくなってしまって顔を見ることも出来なくなったりするのです。

立派になる必要はない、ブログ運営で一番大事なのは自然体で更新出来ること

自分がお伝えしたいことは「立派になる必要はない、ブログ運営で一番大事なのは自然体で更新出来ること」に尽きます。

心から応援はします。そういう一生懸命なブログを読むのは大好きです。でも、自分を一番に大事にしながら、楽しく継続できる方向性をご検討下さい。

このオピニオンは上からに見えるかもしれませんし、きっと余計なお世話なのでしょう。ただ、自分なりに思ったことをお伝えしたいと思いました。

りょうへいさんを俎上にあげましたが、今これからを頑張って試行錯誤されている新人ブロガー皆さんにお伝えしたい思いです。


段階によって出来ることは勿論変わるよ

かおもじ(id:kaomojiblog)さん、らくからちゃ(id:lacucaracha)さんへのお返事を書きますね。

タイトルがちょっと拙かったかなあ…と思いました。ブロガー全体を見回した話とするとこのエントリの至らないところは勿論あります。そこは素直に反省。

でもまあ、…と言いますか「こらこら、ちみたち。小学校にあがったばかりの子に車に気を付けようって諭しているのと、ちみたち中高校生に小遣い無いからといってパンツ売ったりするなよと伝えることは当然違うよ」なのです。それも一人一人それぞれ分けても1エントリで収まらないような面白ネタを書きおってからに、どうしてくれようか?(・∀・)ニヤニヤ

本筋とはかなりずれるのであっさり書くと

かおもじ(id:kaomojiblog)さん

そいつは当たり前です。考えていることをそのまま全て考えなしに出力するのはド阿呆か天然の凄い人です。

ある程度出力が出来るようになればそこに気づきます。何かしら衝突が発生したときに、この先に突き進むか、収めておくかという選択を求められます。ぶっちゃけ自分の場合は、そこは損得勘定で考えます。割に合わないことはしないし、曲げられない話なら相手を説得するなりして、徹底的に話を付けるまで逃がさず巻き込みます。

まあそこまでに至るテーマは少ないです。それに付きあえる相手も滅多にいません*1。自分は割に合わないと思えばあっさり引きますし、相手の姿勢によってペルソナは幾らでも書き換えます。

シロクマせんせーを見れば分かるように、論を進める上で論ありきでやろうとすれば個人の立ち位置などどうとでも置けます。むしろIFを複数持ち、この場合はこうだが、もしああだったら…と前提に基づいた帰結を作って、更にそれをスクラップ&ビルドします。こういう遊びをするのも相手次第なのですけれども…。

一般論として、体面が良いキャラクタを作るのは安全ですし、そこが自然体かと言えば、ご指摘通り「NO」です。仰ることに同意します。ただ、それを初心者の方に求めるのは酷でしょう。

らくからちゃ(id:lacucaracha)さん

閲覧者、特にロングテールを意識して、いつだれが読んでも一定の品質を保つことが望ましい。そのために払う負荷は決して安くない。

その見解に対しても同意します。そもそも自分がこのブログを作ったのはTwitterで気付きや検証を流しきりにしたくなかったというのが始まりです。

Twitterの良い部分はInputからOutputの時間が短縮できるうえ、反応もほぼ即時に返ってくる部分です。しかし、ある程度以上の文字数を要するロジック、文書構造、画像、外部リンク、内部リンクを求めようとするとあまりに貧弱な機能しかありません。Outputしたい内容がそういった制約にひっかかるごとに勿体ないと思うようになりブログにしました。メインブログに統合しても良かったのですが、一旦離れたはてなへの未練があったのと住み分けをしたかったのです。

確かに文書構造を整理したり、誰が見ても一定以上の理解に結びつくような抜け漏れを潰すには相応の慣れと時間が必要です。自分の場合、物によっては生煮えで公開して追加修正を行う運用を行います。その点短期的な閲覧をある程度捨ててかかっている面があります。

ちょうど今回のお二人の反応が想定から抜けていたように事前想定が不足していた場合も対応が出来ます。Twitterと異なり場所をURLで固定しての編集が可能であれば、会話相当に近い展開を共有のテーブルに持ち込めますからね。*2

あー、やっぱ長くなった

なるべく簡潔に書くつもりだったんだけど、テーマが面白いとぐだぐだと長くなっちゃう。もう少し続きそうならエントリ分けてクネクネと展開しますよ(*´ω`)*3

*1:大抵勘違いして強がってる子ばかりです

*2:Twitterが単一URLを保持しつつ編集可能であれば少し話が変わったかもしれません

*3:再反応待ち