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習慣とは「鬼」の所業であるから素晴らしいのです

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え、何言ってるの?頭おかしいの?まあ、そう思われても致し方ない我ながら支離滅裂なタイトルですが、少しづつ私の本意を紐解いてみましょう。この記事はお題「渡る世間の鬼の話(チョコっとした鬼の話)」の参加記事です。

まずは習慣が鬼の所業である実例を挙げましょう。

毎日その日が何の日かを共有して下さる人がいます。凄いですよね!

「今日は何の日?」とかで検索したり、AIスピーカーに問い合わせると大抵色んなその日の由来を教えてくれます。例えば、今日1月23日は何の日でしょうか?Googleで検索すると色々出てきますね。
www.google.com
色々検索結果が出てきます。とりあえずたまたま一番上にでている1月23日 今日は何の日〜毎日が記念日〜をクリックするとこんな感じです。

  • 八甲田山の日:1902年のこの日、八甲田山へ雪中行軍に出かけた兵士210名が遭難した。冬の八甲田山は本来は冬の重装備が必要だったが、指導部の無謀さから兵士は軽装のまま行軍を開始したため、猛吹雪の中で道を失い寒さと飢えと疲労の為に遭難して行った。25日になって199名の死亡が確認された。
  • 真白き富士の嶺の日:1910年のこの日、神奈川県の逗子開成中学の生徒12人が学校のボートで乗り出し、七里ヶ浜で遭難して全員が死亡した。この遭難は社会的事件として新聞で大々的に扱われた。この悲報に接した鎌倉女学校の教諭・三角錫子が「七里ヶ浜の哀歌」を作詞し、この歌は全国で愛唱された。
  • アーモンドの日:カリフォルニア・アーモンド協会が2008(平成20)年に制定。アーモンド約23粒が日本人の成人女性の1日の摂取目安量であることから「1日23粒」で1月23日を記念日とした。
  • ワンツースリーの日:「123」で「ワンツースリー」とよむ語呂合せ。人生に対してジャンプする気持ちを持とうという日。

面白いですよね。そう、見ている人にとっては興味深く楽しいのです。

でも、ひとたびこれを作って下さいと言われると様相が様変わりします。読むは易し、書くは難しなのです。

一日とか数日とか限定されているなら何かしらの資料を孫引きすれば容易に作れそうですが、抜けもれなく作っていくとなると途端に難易度は跳ね上がります。

実はわたしの身の回りにも毎日その日が何の日かイラスト入りでつぶやいている人がいます。凄い!





それは半魚人@カレーライスの日 (@dabohaze2017) | Twitterさんです。何が凄いって毎日怠けず朝一番の”おはざいます。本日****年**月**二値は「****の日」です”が手書き画像付きで習慣化しているところです。

絵のタッチから見てこれは容易だろうと思うのは見る方の勝手な低い見積もりです。いざ私がやってと言われると「うっ」と立ち止まって悩んでしまいます。

まず今日が何の日か調べる。幾つか候補がある中で絞る。そのテーマに合わせたイラストを作り上げる。それも朝一に毎日配信。

や、これは掛け値なしに凄いでしょう!鬼の所業と言って差し支えありません!

ということで、半魚人さん、あなたマジ凄い!尊敬します!普段こっぱずかしいから言わないけどこの機会に伝えますね。

習慣とは鬼の所業であるから素晴らしいのです

こう書くと半魚人さんが鬼のようにきっつい人と初見の方が誤解されるカモなので補足します。

半魚人さんはこのうえなくおだやかでフレンドリーな人ですよ。この私のお友達になってくださるくらいですから心は広い(卑下して言っているんじゃ無くてマジで私の浮き沈みは見ての通りですからね)

で、本題ですが、この凄い何か、鬼の所業の背景には習慣化があると私は思います。

つまりですね、歯磨きだろうと洗顔だろうとやっている人からすればやらないとむしろ気持ちが悪くなってしまうものです。

しかし、そういう習慣が無い人が行為を始めるとなると:恐ろしく億劫だったり大変だったりします。

ちょうど質量の高い物を動かすのが大変だけど、一旦動き出したら慣性で意外と動かすのが楽になったりみたいな;感じです。

手前味噌になりますが私も色んなことは習慣化してのりきっている場合があります。これは身につけるまでは大変ですが、一度動き始めたらやらないと駄目って位に生活の一部になるのです。

例えの上で鬼と書きましたが、こういう鬼であれば豆をぶつけて追い出すより、内に招き入れた方が幸せになれると思います。

ということで皆様も習慣という鬼の所業をもって幸せで楽しい生活を送って行かれることを私は祈っています。

ではまた