ブログは文字を書かれるのを待っているだけ
この言葉はストンと心に落ちました。正確には最初は心にグサリと刺さりました。なんとなく気になるワードだけど消化できずみたいな常態が30分。その後「ああ、なるほど」と思ってトゲのような何かが解けてサラサラとなっていくのを感じました。
この言葉には出典があります。
自分のブログを愛そう。
— めんおう@伝えるもの書き (@mennousan) 2019年2月4日
・時間かかる
・読まれない
・収益あがらない
・アドセンス通らない
・何書いていいかわからない
・デザインとか面倒
ブログがわるいんじゃない。ブログは文字を打ち込まれるのを待っているだけ。
あなたのブログ、あなたが愛さず、だれが愛すの?
自分のブログを愛そう。
「ああ、なるほど」と思ったのは実際に書くことをあまり考えずにブログの新規作成ボタンを押して編集画面を見たときでした。毎度思う殺風景な編集画面です。タイトルと本文入力欄が空白でド━(゚Д゚)━ ン !!!とあります。この空白を何か意味のある言葉で埋めていくということを想像すると辟易するのです。ウンザリするだろうと事前から想像するのです。
しかし、見方を変えてみれば、ブログはただ待っているだけなんですよね。コンピュータで言うところの「コマンドプロンプト」、AIスピーカーで言えば「ウェイクワード待ち」待機状態からアクティベートされるのをただただ待ち受けているんです。生き物に例えるなら忠実なポチは吠えもせず尻尾だけ振って主人とのお散歩を待ち受けているみたいなイメージです。
そう考えてみると愛おしいという感覚も違和感無く受け止められます。ちょっとハグしてよしよししてやりたくなるじゃないですか?
ブログは生き物じゃ無いからハグしてよしよしは出来ないけれど、少しでも書いてみればその瞬間から受け入れてくれるのがブログツールだし、ブログなのです。文字数が何の形式がなんの受ける要素がなんのというのは後付けなんですよ。勿論それ自体がモチベーションになることも多々あるけれど、まずその場所に書き込んでみると言うことが大事なんじゃ無いだろうか?
私の知っているブロガーのブログタイトルに「ブログ作成ボタンを押しちゃった」というのがあります。こう考えるとなんとも本質を取り込んだガチすぎる秀逸なブログタイトルだなあと気付きました。押しちゃったという表現は意図せずやらかしたイメージだけど、それが出来る時点で最初の難関をクリアして楽しみに向かうことが出来るのです。「こんなこと書いてもつまんないだろう」とか「面倒だ」とか思っている暇なんて無いのです。だってもう押しちゃったんだから。
その点私のいぐだぐだわーくすは性格丸出しでぐだぐだと仕事をするという姿勢がまんまタイトルなんで、ちょっとのんびりしがちなんですよねえ。なんてことを考えました。
めんおうさん、考える機会を有難うございました。