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Twitterに自治など無いし、自分で自分なりのルールを模索したいものです

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TwitterとはチャットライクなSNSです。一応「つぶやき」という体裁で一人がちつぶやくわけですが、そこはネットです。「つぶやき」に過ぎないそれを見る人がいます。偶然見かけて立ち止まるでも良いのです。同じように「つぶやき返す」のもありです。或いはお気に入りの「つぶやきしている誰か」をFollowといって登録してみたり、特定の「つぶやき」に印を付けたり、より多くの人にリレーしてシェアすることも出来ます。

今更何をとおっしゃいますな。もしあなたがTwitterを全く知らない人の前で実物を見せず触らせず説明する身となったと仮定しましょう。恐らく私と同じくらいへどもど四苦八苦しながら説明することになるんじゃないですか?あ、こら!誰がWikipediaとか公式の説明を参照しろと言いましたか?いやまあ、それも良い手ではあるんですけどね。

あなたはネットを使わず実機を見せずTwitterとはなんぞやを説明できますか?

物事には前提という物やお約束という物があります。そこでズルというかチートというか出来るならしちゃえば良いのです。しかし、ツーと言えばカー、阿吽の呼吸で何でも共感できるだろうと伝え手が思うのは大きな勘違いです。本当のところ表現的にはこれでは生やさしいくらいで、物事の共有というのは半端じゃなく難しいのです。

現実を話せばTwitterの利用者は2016年時点で3億弱の人数で漸減傾向と言われています。
news.yahoo.co.jp
3億もいりゃあ凄いよ!と思うあなた、そりゃあ認識が甘い。ジャスティンビーバーのFollowerが1億ということはユーザの3人に1人は彼をFollowしています。所詮その程度の奥行きでしかありません。また、日本のユーザは4500万人と言われていたようですが、よく考えてみて下さい。人口に対しこの比率はおかしいです。アカウントが作られて利用されていないとか1人複数のアカウントを取っていることを考えれば実質1500-2000万が上出来の数字と私は見ています。

別にTwitterがどうのじゃなくて、その狭い囲いの中ですら我々ユーザには全体共有する認識や規則性はほぼほぼ存在しませんということを私は言いたいのです。

イケハヤがどうのとか言うけれど

最近水に落ちた犬に石を投げて殊更楽しんでいる絵面を見せられる場面が多いですね。私はイケハヤなる人物が元々苦手ですし、慎みに欠けた自己中心的な人物として捉えているので、人気のありなしに関わらずお近づきになるつもりがありません。しかし、その私をして「この状態は何だろう?」と思うほどに彼への吊し上げをよく見かけます。

正直3日もすりゃあ飽きるだろうと目算していましたが、執念深く追い込みがかかっているようです。なんともはや、凄いことです。本人が状況をわきまえず燃料を投下するのも間抜けの極致ですが、いちいち律儀に反応する人達もどうかなあと思います。

Twitterに自治など無いし、自分で自分なりのルールを模索したいものです

おっと、ぐだぐだが過ぎました。

要はですね。世の中自分ルールで自分をドライブするものなんですよ。これをどこをどう勘違いした物か「共通の公共ルールがあって自他共に従わねばならぬ」という認識がはびこっているような気がしてなりません。その人が縛りゲームのようにマゾヒスティックに楽しんでいる分には趣味の領域ですが、他人を巻き込み始めると迷惑です。

ルールでは無く提案、唯一なる真実では無く提案や仮説という風に置き換えて欲しいと私は思います。また、自分のことを妄想した共有ルールに委ねるのもあまりに無警戒で無節操なふるまいのように私には見えます。

ことはTwitterに限ったことではありませんが「Twitterに自治など無いし、自分で自分なりのルールを模索したいものです」などと私は考えた次第です。少なくとも私は私のやり方をするし、他の人がどうのというのはあくまで感想を超えることはありません。そのくらいがちょうど良いんじゃ無いかと思うのです。

ではまた