Publish while resting-ぐだぐだわーくす

BLOG that considers the world funny conquest. Worship me (* 'ω' *

できるできないではなく、やるやらない。やってから尚考え次の手を行う

f:id:dacs:20190117064308p:plain:w760
よく「そんなことできないよ」ってなることありますよね。

でも、よく考えてみて下さい。あなたが抱えている課題(イシュー)は本当に「できるできない」なのでしょうか?私は殆ど全てにおいて「できるできない」ではなく「やらない」を代言した物だと思っています。なるほど物理的に不可能なことは出来ない。ただ、仮に出来たとしても「出来ない」ということにして「やらない」ことが多くありませんか?或いは「出来る」と思っているけど、自信が無いから「出来ない」ということにして「やらない」ということにしていることはありませんか?

「できる」「できない」は重要ではない

私がここで何を言っているかを整理します。要は「出来る」「出来ない」とは客観的な状況判断です。言ってみればファクトのように見える何かです。

しかし、それは本当にファクトであるか否かの検証は成されていません。ただただ「出来ない」「出来る」という空虚で中身の無い判断が先行して出ているだけです。確かに世の中無茶ぶりといえる物もあります。道具も紐も付けずに高いところからバンジージャンプをして生き残れという指示があったときにそれはほぼほぼ不可能な無茶な課題設定です。ですからこの設定で言えば「出来ない」という回答はかろうじてOKです。

「かろうじてじゃなくて当然でしょう、頭湧いてるの?」と思ったあなた、もう少しだけ冷静に考えて下さい。この場合の回答は「出来ない」ではないのです。ほぼほぼ確実に死ぬし大怪我をするから「しない」が正しい。はっきり言えば物理的には誰でも「出来ます」から単純に回答をすると「出来る」という回答しかあり得ません。論理をひもとけば「やっても損しかないと判断して行いたくない。馬鹿馬鹿しい」という判断があって結論の表現のひとつとして「出来ない」と言うなら正しいです。その思考プロセスや論理を端折って「出来ない」が先んじてしまっているのは結論から言えば何の頭も使っていないし行動に自信を持てない人の類型です。

くりかえしますが「できる」「できない」は重要ではない。それは結論として出てくるものの一つの表現形態に過ぎません。

「やる」「やらない」が重要

今は記事を書いてられる時間が無いので後で書きます。とりあえず時間が無いのでこれを聴いてみてください。この記事の元になる私のラジオ放送(CAST)です。