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自己分析できていない人の楽観を傍目で見ながら我が振りを見直したい

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こんにちは、DACです。

自己分析ってとっても大事だよなあってお話をします。

根拠の無い自信を持ちすぎるのもどうかと思う

世の中には何かと悲観とか自分に対して希望を持たなすぎの人がいる一方で、不思議なくらい楽天的な人がいます。自分がやることは上手いように回っている。それが今後も当たり前なんだと口にします。

よくよく聞いてみますと、実は何の根拠も無いのです。たまたま目の前のことが少し上手くいっていたら、そのちょっとした成功体験が今後一生続くという前提でお話しされていたりするのです。

なるほど、何につけてもマイナスなことばかり考えて身を縮こまるようにしか動かないというのも困ったものですが、これはこれで何だかなと思います。

相手は自分の良いところを見つけて当たり前だ?

例えば、転職をすることにしたとします。これまでそれなりに仕事の実績を積んできて自信もあります。さて、面接に行ったとき、どう自分をアピールしますか?

こういった際、実は意外にもアピールなんてしない…という人が一定数います。思わず「何のために面接に来たのでしょう?」と問いたくなりますが本当です。心境を察するのは骨が折れるのですが、おそらく「面接官は自分の良いところを見つけて当たり前だ。だって、僕優秀だもん」とか「良いものは良いんだ。黙ってたって売れるんだ」とかみたいな感覚なのでしょう。

ありえません。面接官というのは、欲しい人材の能力や割り当てる業務内容が先に設定されている中でそれに適した人材かどうか、一定以上の業務継続が出来るかどうかを決められた時間の中で判断します。

勿論一見の相手に対して正確にそれが出来るかは定かではありませんが、判断に必要な情報は書面なり本人の自己アピールから判断するのです。

なんか面構えが良いとか風格があるとか雰囲気で選んでしまう面接官も中にはいるかもしれません。ですが、多くの場合わざわざ面接対象の良いところを自分から見つけに行くなんて事はしません。また口に出してもいないことや表現できていないことをエスパーのように察するとかもしません。

まだろくに自己表現できない年の自分の子どもだというならまだしも、どこの誰だかもいまいち分からないよい年した大人にわざわざそこまで降りていってあげるってよっぽどの事情が無い限り無理です。

これくらい常識だよな?

一般常識というのは確かにあります。いや、正確には昔はそれなりのものがあったような気がします。

しかし、イマドキそれは通用しないことも増えています。そうというのも世の中が色々と分断化しているからです。

特定の文化とか特定の趣味嗜好の同質者集団の中で通用する常識、阿吽の呼吸が成り立つ範囲というのはあります。その中であればツーと言えばカー、ヌルポといえばすかさずガッと返してくれるようなお約束が分かるのが当たり前です。むしろ分からないと「なんだあいつ」になるでしょう。

それがその集団の中であれば確かにその通りです。とっても楽ですよね。ただし、その外にいる相手にその常識は通用しません。むしろ非常識そのものです。

まして、それが特定個人の頭の中にある常識で事前にコミュニケーションで通用する範囲の検証が少ないものだとすると絶望的なまでに通用する範囲が狭いなんてよくある話です。本人はこれが通じて当たり前と思っていますが、多くの初見の方からは「は?」で終わりです。

せめて平易な言葉でかみ砕いて分かりやすく伝えようとしているなら、聞き手も「ちょっと聞いてみようか」となります。でも、分かって当たり前という姿勢で訳の分からない話をされては堪ったものではありません。

終わりに

別に自信があろうがなかろうが、この手の自分本位の罠というのはいつでも大きく口を開けて待っています。こうやって書いている小生とてよくハマるところで決して笑えた話ではありません。

そうはいっても他人がそういうことをしていると「ああ、分かってないな」というのはよく分かります。自分のことは棚に上げて…になりがちなのが凄く凄く怖いですけれど…。

ですので他の人のそういうところを見かけるにつけ自分も同じ事、或いはそれ以上に酷い楽観に陥っていないかなと疑うことにしています。

他山の石にするというのは言い過ぎかもしれませんが、そういう注意喚起をするには幸いWebでは良い反面教師に事欠かないと思うのです。