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山本大臣が引き合いに出した外国の博物館事例が気になった

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こんにちは!DAC(id:dacs)です。
拙速エントリ第二弾行きます。

今度は山本大臣がやっちゃったっぽい

覆水盆に返らずな暴言を吐いてしまいましたね。
www.asahi.com

どうも口にしてはいけないことを平気で行ってしまう大臣が多いですね。真意がどうあるかは判然としませんが、流石にこりゃ駄目です。


セミナー後の記者会見で、山本地方創生相は「新しいアイデアに、学芸員は『文化財だから』と全部反対する。学芸員だけの文化財ではない。『一掃』は言い過ぎたが、観光マインドを持って観光客に説明することを理解してもらわないと困る」と釈明した。

流石に拙いと思ったのでしょうね。新しいアイディアというのがどういうものか、対象とする文化財がどういう位置づけかによって話が変わってきそうな気もします。いずれにせよ十把一からげに学芸員全てを一掃というのは無茶苦茶すぎます。

ただ、自分が一番気になったのはそこではありません。

引き合いに出した博物館とはどこか?

参議院会議録情報 第193回国会 内閣委員会 第2号にて山本議員の発言にある大英博物館の件らしいです。


ロンドン・オリンピックのときに観光を盛り上げるという意味で成功したと言われているのが、文化プログラムをつくって、ロンドンのみならずイギリス全体の美術館、博物館を観光客のために大改革をしたんですね。例えば、大英博物館の中の壁を取っ払って、真ん中に人が集まるところをつくって、そこからいろんな部門に行くというように全部やり替えました。そのときに一番抵抗したのが学芸員でありまして、そのときは観光マインドがない学芸員は全部首にしたというんですね。それぐらいの取組をやって、その後、ロンドンにまさに大英博物館を始め大変な観光客が継続して続くようになりまして、オリンピック終わってもにぎやかさを保っているというようなことであります。

 そういう意味で、この教えていただきました市民農園の取組を是非勉強させていただいて、地方創生につなげていきたいと思っております。

地方創生をしなければならないという課題意識は正しいように思いますが、何故この話が出てきたのか繋がりが全く分かりません。要は大改革として大変なことをしないと効果が得られるようにはならないと言いたいがための例えなのでしょうか?何となく抵抗勢力とか、改革に反対するものが存在して、それを撃破することによって改革をなしうるという構図を示したいように見えます。

仮想敵として学芸員を挙げた理由がこの発言だけでは全く分からない訳ですが、どうも今回の「一番がんなのは学芸員。普通の観光マインドが全くない。この連中を一掃しないと」という発言から、大臣の頭の中では学芸員は一律地方創生を邪魔する敵として位置付けているように見えます。もしかすると、そういう学芸員もどこかにはいるのかもしれませんが十把一絡げに纏めてこの言いざまは無いです。

大臣は措いておいて件の博物館はどうなの?

ざっくり調べた限りこれという記事や資料が見つかりませんでした。見たかったポイントは幾つかあります。

  • 学芸員は何故反対したか?それは妥当な主張だったか?
  • 学芸員は何人解雇され、その後どうなったか?
  • 解雇は英国観光庁が行ったのか?それとも博物館運営か?
  • ロンドンオリンピックはインバウンド観光振興の手本とされるが、その効果数字は?その数字に改装がどの程度寄与したか?

残念ながらオリンピックによって、実施時に観光振興がなされ、実施後も影響を与えたといったことは幾つか見つかったのですが…マクロとしてどうかという話に終始するものばかりでした。大英博物館のニュースリリースも遡ったのですが成果なし。何かしら文献に当たらないと難しいかしら?

大臣が知っているくらいだから、文化庁か大学あたりの資料を調べれば事足りると思っていたのですけどね。当てが外れました。

終わりに

今回拙速でやることにして調べる時間を最初に30分と決めて進めました。探し方が悪いだけの可能性も結構ありますが、残念ながらタイムアップでした。

自分はどうも他人がこぞってプンプンしていたり、泣いたり笑ったりしていると、必ずそこから違う部分に焦点をズラします。単純にひねくれ者なだけですけれどね。

沢山の人が皆同じ方向に向かっていると、「あ、これ自分がやらんでもええわ」となっちゃうんですよね。それがどれだけ共感できても、全く同じことを繰り返し繰り返し手を変え品を変え騒いだところで、結果に影響が出ないような気がするのです。それに同じことをやっていたら専門家が出てきて纏めてしまったら、話が終わってしまいます。それもまた詰まらない。かといって逆張りも違うんですよね。逆に貼るだけの理由というか信念があれば話は別なんですけど、論理遊びのためだけに真逆のことを言い出すのは時間の無駄でしかないと思うのです。

おっと。これを続けていると自分の嗜好の話の方が長くなってしまいそうですね。この話はこの話でまた別途に…。