朝日新聞が天声人語でSontaku(忖度)するのは流石にまず過ぎないか?
こんにちは!DAC(id:dacs)です。
今回は、「んんんん??!」と思ったところを少し掘り下げてみました。
流行りの「忖度」
とうとうSontakuとかオリジナル表現が海外に出回っていて、ファイナンシャルタイムスで以下のような表現がされているそうです。
[FT]Sontakuがつなぐ日本のスキャンダル :日本経済新聞より引用:
忖度は、与えられていない命令を先取りし、穏便に従うことを指す。この言葉は日本人に広く使われていないかもしれないが、政府、民間部門でいろいろな形で普及していることは、すべての人が本能的に知っている。忖度の概念は日本特有ではないものの、安倍晋三首相時代の日本を説明するうえで、これほど強力に響く言葉はそう多くない。
書いてある通り日本人でも滅多に耳にすることの無い表現を連呼すれば、それは目立ちます、主に悪い意味で。「なんだ、それは?意味わからん」実際記事を書いた人も簡潔にこれを伝えることに苦労しています。
なるほど、恐らくそれでも多くの外国人は納得するどころか「与えられてもいない命令を先取りするってどういうこと?」「何故穏便に従うの?」と疑問を深める可能性が高いような気がします。
そもそも、彼らは直接的なコミュニケーションあっての思考や行動は日常的であっても、忖度に相当する思考や行動は良くて非日常、非常識。もっと言ってしまえば、文化的に隔絶されているでしょうから。
一方、天声人語ではもっと意味を意図的に偏らせている
さて、こちら本題です。
(天声人語)忖度の弊害:朝日新聞デジタルより引用:
忖も度も「はかる」の意味である。それが最近では、権力者の顔色をうかがい、よからぬ行為をすることを指すようになってしまったのか。
天声人語ではもっと意味を絞って書いていました。記者や新聞社の思い、そういう意味だと印象付けたいという意図が前提にあって、世間一般でそう認識されているような表現を既決事項のように書いています。権力者は言わずもがな安倍首相や内閣府でしょうし、よからぬ行為をしたかどうかが不確定な状況でここまで書いてしまうのはミスリードを呼ぶ悪い表現だと思います。
気持ちは分かるのだけど、そこまで意味が偏っているかどうか個人的には疑問があります。まして、それを広く読者に浸透させようというのはちょっと度が過ぎます。
更に遡った原義に触れるのだけど歪曲している疑惑
(天声人語)忖度の弊害:朝日新聞デジタルより引用:
「他人(たにん)心(こころ)有(あ)らば 予(われ)之(これ)を忖度(そんたく)す」とは古代中国の詩集「詩経」の一節である。他の人に悪い心があれば私はこれを吟味するという意味だと、石川忠久著『新釈漢文大系』にある。もともとは悪いたくらみを見抜くことを指したのか。
よく現代日本語でも用法や意味が本来のものからズレたり180度裏返ったりというのが話題にあがります。忖度もそういう流れに則って意味が変質した…という裏付けを書いていて「へえ、そうなんだ」と納得しかけたのですが、何か違和感があります。
「他人(たにん)心(こころ)有(あ)らば」が「他の人に悪い心があれば」と訳されているのですが、本当にここに悪いという意味合いがあるのでしょうか?気が付いてみるととても気になってきたので他にもあたってみました。
忖度余聞より引用:
平素耳にするが「さてその文字は・・」となるとあまり見なれない漢字「忖度」
最近世間でよく使われているが、その源泉は中国の詩経。
『漢字源』によれば「他人有心、予忖度之」(他人心有り、予(われ)これを忖度す)という文言に発する。
平易にいえば「他人の気持ち・考えをそっと推しはかる」という意味で「誰さまであろうと差別なく、その人の想いをそっと酌んでやる」という善意の行為を指す。
手元に漢字源が無く、その真偽を更に遡って調べられないので断言しがたいのだけれど、このどこに「悪い心が」相当の意味合いが入ってくるのでしょう?そっと推し量るになると看破する感じではなく、思い遣る、思い至る、深慮するの意味に近い気がするのです。
他にも挙げてみましょうか。
(天声人語)忖度の弊害:朝日新聞デジタルより引用:
すばやく行き来するわるがしこい大兎を良犬が獲(と)らえるように、と詩は続いている。現代日本の忖度からはずいぶん遠い光景である。
これは以下の最後の行を指します。
2203.詩経(180)小雅《巧言》 ( 詩 ) - raccoon21jpのブログ - Yahoo!ブログより引用:
奕奕寢廟、君子作之。
秩秩大猷、聖人莫之。
他人有心、予忖度之。
躍躍毚兔、遇犬獲之。
2203.詩経(180)小雅《巧言》 ( 詩 ) - raccoon21jpのブログ - Yahoo!ブログより引用:
高大な宮殿や宗廟は(昔の)君主たちが昔作ったものだ。
ちまちました大猷(はかりごと)など(昔の)聖人は否定したものだ。
他人にはみな心がある、我らはこれを忖度せねばならない。
どんな利口な兔(乱に生きる諸侯君主でしょう)も犬(聖人周王や心ある人々でしょう)に出会えば(結局は)つかまって(平らげられて)しまうのだ。
天声人語は忖度されるから悪(それもわるがしこい大兎とわざわざ付け加えられている)が懲らしめられるという意味合いとしていますが、どうも躍躍毚兔にその意味があるように見えません。
一瞬「おおっ!原義に触れていてやるじゃん天声人語」と思った気持ちが台無しです。
朝日新聞の天声人語でのSontaku(忖度)のは流石にまず過ぎないか?
ざっくり粗く調べただけで結論づけるのは危険なのですが、自分は表題の通り「朝日新聞の天声人語でのSontaku(忖度)のは流石にまず過ぎないか?」と思いました。
ここで天声人語が行っているSontaku(忖度)は、
- 「朝日新聞社や天声人語の記者」が
- 「世間一般の人の80%が森友問題に十分な説明を受けていないというアンケート結果で想定される世論」におもねって、
- 「こういうことを言って欲しいんでしょう」という後押しに動いた
というものです。
それこそ
ポピュリズムに迎合するのは確かにマスコミの機能の一つなのかもしれませんが、今の状況でここまで言い切るのはやっちゃった感があるのです。過ぎる言葉かもしれませんが、これこそ悪質な扇動を行っている感じがします。意識的か無意識的かを問わず、白黒つける前に社会に良識を見せるべき新聞社がこれを書いてはいけないと自分は思いました。
まあ、これもまた浅慮が過ぎる一個人の勝手なSontaku(忖度)ということでブーメランが刺さって即死するかもしれませんけれども…