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きっと私は一生ペットを飼わない…でも、何か自分も出来ることはあるんじゃないかな

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こんにちは、DACです。

突然ですが、あなたはペットを今現在飼っていますか?あるいはこれから飼う見込みがありますか?小生は動物を飼ったことないんです。多分、これからも飼うことは無いんじゃないかなあ。

今回は、動物を飼うことについてちょろっと書いてみます。

何故、小生はペットを飼わないか?

責任が持てないから

これが一番大きいです。動物を飼うと言うことは、その子が生まれてから死ぬまでを見通し育て続けることです。その間に色々良いことも悪いこともあります。嬉しいことも悲しいこともあります。

小生とて動物は可愛いと思います。自分が子どもの頃、親に何度となく「猫を飼いたい」と言った記憶があります。ふわふわでニャーニャー鳴いて気ままでちっちゃくて柔らかくて暖かい。そういうふんわりした生き物が側にいてくれると良いなと思いました。

しかし、これまたごくありがちな質問を受けるわけです。「あなたはちゃんと世話が出来る?」この質問に躊躇無く「うん!!」と答えることが出来ませんでした。質問されると「うーん(*‘ω‘ *)」と考え込む。そういう子どもでした。そこは三つ子の魂百までとはよくいったもので、百には至らずともいまだに腕を組んで「うーん(*‘ω‘ *)」と唸るのは変わりません。

「可愛い!」は思うんですけど、植物でも結構な割合で枯れさせてしまうし、面倒がりな性格です。餌をあげていればそれで良いというものではありません。病気もすれば、怪我もすれば、悪いこともします。人間の事情で外出する際どうするか、運動ををどうさせるか、妊娠出産管理をどうするか、生まれた子どもをどうするか、人間より早く老年期を迎えた際どうするか、人間の方が健康を害したり収入がなくなったり死ぬ可能性が高くなったらどうするか。色々考えることがあるわけです。

悲観的っちゃ悲観的かも知れません。でも、自分はその一つ一つを考えたときにクリア出来ることも多いけど、事によってはペットの不幸やむなしと冷徹に判断することを確信的に予測します。即ち「責任が持てない」のです。そう思うととてもペットを飼うことは出来ないのです。
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酸っぱいブドウ的な理由

勿論良いことも沢山沢山あることは理解しているのですが、それは主にペットから与えられる幸せですよね。利益(ベネフィット)です。でも、それを頭に思い浮かべると先の「責任が持てない」ことに目をつぶって「無責任」を通してしまいそうなので子どもの時分は色々酸っぱいブドウ的な理由を考えてみたものです。

  • トイレのしつけが出来ずにあちこち排泄物だらけになるかも
  • 排泄物や吐瀉物さわりたくない
  • そもそも自分は動物から嫌われるし(大抵犬は吠えて飛びかかってこようとするし、猫は逃げる)
  • きっとくさいよ
  • 寄生虫とかダニとか色々まき散らすし危険だよ

いずれも実際に飼っている方からは鼻で笑われそうな理由ですが、そうでもしないと諦めきれなかったんですね。結果、犬や猫の写真や動画は集めたりするけれど、実物に触ることは躊躇するような大人に育ちました。良かったんだか悪かったんだかは知りませんが、多分こういう人間の気まぐれで運命を左右される動物がいなくて良かったんじゃ無いかなあ…と思うことにしています。

猫カフェ列車の報道に思うこと

岐阜県西部と三重県桑名市を結ぶ養老鉄道が10日、列車内で子猫と触れ合える「ねこカフェ列車」を運行した。との報道を毎日新聞で読みました。

見出しで誤解されそうですが、別にこれはイベントの後に殺処分をしたということではありません。

  • 保健所で殺処分前の猫20匹がいた
  • 岐阜県各務原市の猫カフェがその猫たちを引き取った
  • 今回のイベントはその猫カフェから猫たちを借り受けた

こういう流れですから、イベントが終わったら猫たちは元の猫カフェに帰るのでしょう。

個人的には「ねこカフェ列車」とか夢のよう!…とか思っちゃうんですけど、やはり「殺処分」という単語の重さに「ううっ」と後ずさりしちゃうものがあります。


2回の運行で計約80人の乗客が子猫との旅を楽しんだ。参加費の一部は、子猫の殺処分ゼロに向けた保護活動に充てられる。

確かにこの猫たちは今は幸せなんだろうけど、この先どうなっちゃうんだろうとか詮無いことも考えるのです。酷い言い方をすると、猫カフェってキャバ嬢を猫に変えたキャバクラみたいなものという解釈が出来ますでしょう。ホストクラブと言い換えても良いですが…。

年を取ったり、身体の不調が戻らなくなったりしたらお店で愛嬌をふりまく役割も保てなくなるわけです。年を経てふくふくとした猫も可愛いと思いますが、人がそうであるように健康状態を維持しつつ接客商売を安定的にするのは決して容易ではないはずです。

そういったとき、収入を得るのでは無く商業的にコストセンター的になった老猫や病猫はどうなるんだろう…とか想像します。捨てられたり、また保健所に戻されるんじゃ無いかとか悪いことばかり頭に浮かびます。

出来るならば、安らかに天寿を全うするまで幸せであって欲しい。可愛いときだけを都合良く消費される使われ方をするという状況があるのなら、まさにそこを改善して欲しいなあと勝手ながら思うのです。こういったイベントや猫カフェのイベントが殺処分ゼロに向くのはとてもとてもよいことなのですが、そのカバー範囲がよく見えないことに一抹の不安を感じます。

終わりに

殺処分の統計を見ると色々と考える物があります。全国では年間約10万匹の犬や猫が、都道府県の施設や保健所で、引き取り手のないまま殺処分されています。その内訳として多いのが子猫です。24時間体制のケアを要し、職員の手にあまる離乳前の幼齢の猫を扱うのは単にお金だけの問題では済まないのです(勿論お金で沢山の人と時間を作れば良いという貨幣換算をすればお金で片が付きますが、そのために税金を流し込んで時に余剰となり得る人を雇い続けるのは非非現実的です)

悲観的なことばかり書いても仕方が無いとは思います。すでに神奈川県や熊本市で殺処分ゼロを達成していると聞きますし、東京都の小池都知事は選挙公約の「七つのゼロ」の一つに「殺処分ゼロ」を挙げています。行政側も少しづつ変わっていますし、今回の猫カフェ列車も前向きな動きだと思います。でも、一番大きく動くべきは実際にペットを飼う人達のあり方だろうとも思います。

一生ペットを飼わないだろうけど、何か自分も出来ることはあるんじゃないかなとぼんやり考えています。