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何でも自分中心に空気を読んで欲しい人達が目立つ今日この頃

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こんにちは、DAC(id:dacs)です。

もう寝ようと思ったところで運悪く良く琴線に響くエントリが目に入ってしまいました。本っ当に運が良い(*'ω'*)。
www.yutorism.jp

降りるなら『降ります』くらい言えよ。 電車から一旦下車し、その駅で降りる人が全て降りきったなあと思い、乗り込んだ瞬間に、無言&仏頂面で人の間をかき分けて降りてくるひとは、二駅にひとりくらいのペースでいる。その都度、我らが通勤快速は余計なタイムロスを得ることになる。 ひらがな4文字。『降ります』のひと言があれば、多くの人がこの暑くて臭くて圧迫感のある空間に拘束される時間が短縮されるのだ。

なぜ『降ります』のひとことが言えないのだろう? - ゆとりずむ

誠にごもっともなのです。そして、これエントリ中ご指摘通りあるあるなのです。毎日とは限らないけど相当頻度で遭遇するから「またかよ、こいつら」とウンザリするのです。

そもそも本人にとっても不都合多いと思うのだけれど

これね。どかされた方も超不快なんですけど、本人も大変面白くないことを毎回やっているんだと思うのです。

  • 奥深いところから出てくるのに沢山押しのけなければならず尋常でない労力がかかる。
  • 最悪そこまで苦労してもドアが無情に締まって、次の駅までイライラしまくることになるリスクがある。
  • どかしたりした人から白い目で見られたり、時に暴力沙汰に発展するリスクがある。

まあ「そんな些事は俺は気にしちゃいないよ」というアホウドリかゾウガメ並みの超鈍感力を発揮している可能性も無きにしも非ずなのでしょう。しかし、彼の動物たちほど愛らしい訳でも無い訳ですから単に迷惑で鈍感な残念な人という外部的評価を甘んじて受ける屈辱も承知しなければなりません。

コミュニケーションって難しいんだろうな…と思う

これは何も、電車なんて小規模な話に限ったことではない。 ひと言、声をあげて貰うだけで、スムーズに進むことは案外少なくない。全くもって理解に苦しむことに、その方法を知らないわけでも、手間が大きなわけでもないのに、自分から行動をしない人種というのは至る所に一定数存在する。 彼らはまた、何を考えながら生きているのだろうか。彼らとコミュニケーションを取る方法はあるのだろうか?

なぜ『降ります』のひとことが言えないのだろう? - ゆとりずむ

この手の人たちとて常にコミュニケーション不全を起こしているとは思えません。ですので2つほど彼らのバックグラウンドを推測してみました。

推論1:内と外の区別が凄くはっきりしている場合

恐らくですが状況によるでしょう。とりあえず想定できるのは、移動中の周囲の人を自分にとって利害関係が期待出来ず単に書き割りの背景のような存在と認識している場合です。社会性の欠如と言えばそれまでですが、自分にとって当面の利害があるかどうかで一線を引いている人が多いように思います。言い換えれば、内と外みたいな感じです。家族、会社、地域、或いは恋人、友人、知人といった普段から接点を持つところではそれなりの気遣いをしていても、そうじゃなければ途端に邪険にしてしまったりする訳です。

推論2:自分の行動に合わせて周囲が忖度、空気を読むことを期待している場合

何かと権限を持っていたり、立場的に強くいられるような人だと、そういう傲慢な勘違いをしている可能性があるように思います。自分にとってこうあって欲しいという結果がまず先にあって、それを忖度して周囲が動くことを期待してしまっているのではないでしょうか?

権限を持つ立場に無くても、少し年嵩というだけで威張ってしまったり、マウンティング合戦に挑むこともあります。特に男性の場合はある意味遺伝子的に刷り込まれているのではないかというくらい顕著な思考のありようです。

まあ何も調べものをしない適当な邪推な訳ですが

眠くなっているので怠けて適当に根も葉もない邪推を並べ立てましたが、案外当たらずとも遠からずの良い線をついているんじゃないかと思っています。

この手の話というのは、もうそれこそあるあるな訳で少し探して回ると「「ごめんなさい」が言えない大人達 - シロクマの屑籠」とか「一言足りない - Google 検索」とかうじゃうじゃ出てきます。

話が上手く通じず情報がスタックしてしまって個別最適されちゃうような事例って、これが個人だったり小集団だったりするだけのことなのではないでしょうか?自覚的であるか否かは別として、何でも自分中心に空気を読んで欲しい人達が増えれば増えるほどお互いに自分のしたいようにしか動きません。そして、何故そういうことをしたのかを言語化しないし、言語化出来ないのです。

一方で、それを見て「阿呆じゃないか」と俯瞰して見ることが出来たとしても、不快感を示すのがやっとなのです。彼らに対して積極的に触れて意思をかみ砕いて言語化させるのは恐ろしく手間がかかります。そのうえ「なんでそんなことも分からないのか?空気嫁」くらいの暴言を吐かれかねないので割に合わないのです。

顔合わせていてもこれですから、メールやら電話やら間接的になったり、個々の利害関係が解明されていない状況だと尚更難しかったり…。

だんだん頭が働かなくなったので寝ることにします。酷い締め方だなあ、我ながら。(˘ω˘)Zzz…

追記:想像力の欠如もあるのかも

少々状況が違うのですけど、こういうことがありました。

雨が降っていた日の通勤電車で、自分は座席前に立っていました。後から乗ってきた30台前後の女性は濡れた少し開き気味の傘を持って右隣に立ち、乗るなりもう右手でスマホを弄り始めました。それ自体は普通のことで気にしていなかったのですが、自分の右足が冷たい感じがして、見てみると思いっきり濡れた傘がベッタリつけられています。女性はノリノリで片手でLINEの書き込みをしていました。

これはちょっとと思って「すみません。傘つけるのやめて頂けますか?」はっきりそう言ったのですが、反応ありません。どうやら自分が言われてると分からないようでした。自分は少々苛ついて傘を直接触り「この濡れた傘わたしの足につけるのやめてくれませんか?びちゃびちゃなんですけど!」大きめの声で言いました。するとようやく気付いてLINEを中断して傘を閉じ自分に寄せました。

「すみません」とは言わず小さな声で「うぜえ」みたいなことを言ってLINEを再開していました。余程LINEの邪魔をされたことが気にくわなかったのでしょうか?

正直これは自分の理解の範疇に無い反応でした。仮にこの人に対して自分が濡れた傘を擦り付けたとしましょう。自分が注意したレベルで済むとはとても思えません。大袈裟に激怒して下手すれば駅員に突き出されるのではないかと思います。

これは結局想像力の欠如のなせる業だと思うのです。他人に行うときは何とも思わず、自分がやられた時は怒る。もし、自分だったらという思考の癖が欠如しています。

ここで例に年齢層、性別を挙げましたがそれは重要ではありません。たまたまその人のことを思い出しただけで色々な方がそういう行動を行っています。ここまでくると空気を読め…というよりは周りのことなんざ知ったこっちゃねえレベルなのですが、最悪「自分のために他人は濡れた傘をくっつけられても我慢する」という無茶苦茶な忖度を期待しているのかな、とすら思う訳です。