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価値付けを拒否した日本のインターネットのフラット化は味噌も糞も一緒のゴミ屋敷と同じ(後編)

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こんにちは、DACです。

即日後編を手がけるつもりが、眠い眠いと家に帰れば即寝てしまう始末で今日まで延びました。すみません。正直延ばすまでもない内容なので恐縮しきりです(*‘ω‘ *)。

所感

既に前編で何を語るかについては示しているので、直接所感で始めます。

PVとか収益とか言われてもね

事実、周辺を見てもいつ何時でもPVだバズだと大騒ぎです。要はPVがとれるものやバズがなされるものが勝ちであり、価値があるものだと半ば本気で信じている人達がとてもとても多くなっています。 こう書くと「当然じゃん、それが何か?」とふんぞり返る人達には何が問題か理解出来ないでしょう。小生から見れば「おいおい、正気かよ??!」でしかないのですが、まあそういうものです。

価値付けを拒否した日本のインターネットのフラット化は味噌も糞も一緒のゴミ屋敷と同じ(前編) - ぐだぐだわーくす

数さえあればそれは価値あるものだとする風潮に小生は異を唱えた訳です。

理由は簡単です。その数ですら偏在の結果でしかないからです。例えば、月間200万PVのブログがあるとします。この200万PVとは所有する全記事で月累計の閲覧数を示します。そして、ビュー数を稼ぎ出すエントリというのは大抵数エントリで残りは存在しないと言ってよい程度の数字しか作り出せません。仮に20記事で200万PVという割の良い作り方をしていたとして、平均なら1記事10万PV(日あたり3333PV)、1記事が稼ぎ出す仮定で(日あたり66666PV)です。

なるほど、個人としてはそれは凄い数字なのでしょうけれど、閲覧者が日本人に限定されるとして1億3000万人弱に対しどの程度それが通りの良い数字だと思いますか?え?赤ちゃんや年寄りは読まない?では11歳から70歳までにしましょう。統計局の数字によれば9100万人ですが、その中にどれだけリーチしているのが影響力があると?

偏在しているという意味で言えば、仮に界隈で著名と自他ともに認められるようなサイトでも世間一般では誰も知りませんよ。ネットでマスゴミと馬鹿にされ続けるテレビや新聞などのメディアに載ることで一瞬「ああ、そういうものがあるのか、ちょっくら見てやるか」程度の枠取りのくびきから解き放たれて一定の位置取りに至れたものはとてもとても少ない。この状況をもってこれは沢山見られてるから価値があるなどと寝言をほざかれてもドングリの背比べだし、ちゃんちゃらおかしい。

まして、世界といった枠、WWWのように世界に繋がっている前提で見たときその小ささはまずますもって明白になるでしょう。2011年TIME紙が行った「世界のベストブログ25」にGIGAZINEが載った際のPV数は約5310万、ユニークユーザ数は約1719万です。それでも世界のTOPにはまるで届かない。上には上が当然いますし、その上も所詮はブログのトップです。WEBサイトという枠取りで見るならば、それも牛後でしかありません。

PVなりCVなりUUなりをどこを目標値にするかは人それぞれですが、そこに絶対的指標などありはしません。商業的価値の差異はあれどそこに興味を持たない大多数が傍目に見れば「馬鹿じゃねえの?」いう誹りを発するのは当然で、そこは甘んじて受けるのが妥当だと思います。せいぜい楽しくやっておけば良い話で、そこに他の色々余計なものを乗っけたところで心の贅肉になるか、重荷になるのが関の山ですよ。

キュレーションの勘違い

そういったPVの偏在性、局所性の観点は、キュレーション系のバイラルメディアは更に必要とされた筈なんですが勘違いが是正されない程度にはそこそこの流入量を保持してしまいました。


【ばるぼら】SNSは利用者ごとに見えるものが違うので、他の人々からはそれぞれの文脈は見えにくい。巨視的に見るとバラバラな情報が膨大に流れているということになる。そこに無理やり第三者が文脈を与えるのが、TogetterとかNAVERまとめみたいなシステムですよね。10年代初頭の「キュレーションの時代」というのは実現してみると「TogetterとNAVERまとめの時代」ということになってしまった(笑)。

バイラルメディアを持ち上げる人たちは「Googleみたいな検索エンジンはスパムだらけでノイズが多い。これからは自分たちの主体的な判断にのっとって情報を得ていくのだ!」みたいなこと言いますよね。主体的な判断って、せいぜい興味があるからシェアするとか、そういうレベルの話なんですけど、その「主体」はまとめサイト的なものにものすごく簡単に操作されてしまう。結果、シェアしたくなる、ひとこと言いたくなるどうでもいいニュースばかりがどんどん増殖していった。

問題を全て指摘してしまっているので追認することにしかなりませんが、個々の追認をしていきましょう。個人をして膨大と言わせしめるそこそこの流量を扱っている自称キュレーション、バイラルメディアはとりあえず既に存在しているものを個人レベルの何の裏付けも持たないような浅薄な人が価値付けと称して無理矢理文脈を与えてしまうのです。

文脈とは切り出し、掛け合わせ、所感付けです。まさに今ここで小生がやっているようなことです。それ自体は別に害はありませんが、問題はそれ自体に一定の価値を見いだし、あろうことか検索エンジンに伍するものだと位置付けようとしたわけです。主体的な判断って、せいぜい興味があるからシェアするとか、そういうレベルの話ですし、そこに何の裏付けがあるかと言えば沢山の人が「いいね」「シェア」とやったというだけの背景しか無い。Twitterで言えば多いもので10万、100万単位のRTやFAVがあるからそれを価値だと見なしてしまう。

しかし、あまりに根拠が薄いし容易にミスリードを生む。そもそも10万100万が大きいと感じるのは個人にとってであって、検索エンジンで扱う処理量や評価軸の一定性から見れば比べるべくもなくそびえたつ糞の山以外の何物でもないのです。

はてなブックマークが、あざといタイトルにすぐ釣られたり、すごくどうでも良い枝葉の思想信条の違いで中傷や寝言を貼り付けまくったりするのを見れば自明の話です。そもそも、はてなブックマークなどSBMの理想に準じるでも無く、何故か劣化Twitter的な運用に甘んじるバイアス塗れのただのゴミ箱です。有り難がる方がどうかしていると思いますよ。唯一意味があるとすれば、共感や反感とはこういう原初的でどうにも度しがたいものなのだという再確認用でしょう。

それでもお金は動くからゴミ屋敷は増殖する


【さやわか】そんな風に、まとめサイトにはメディアとして大きな問題があるじゃないですか。実際にトラブルも起こっている。DeNAが運営するキュレーションサイトが悪質だというので相次いで閉鎖しましたけど、佐々木さんをはじめとしてこのへんを持ち上げた人たちは誰も責任を取ろうとしない。悪いのはDeNAだという感じで、NAVERまとめもさほど追求されない。みんな、次に儲かりそうな仕組みを紹介するだけなんです。そもそも2ちゃんねるが転載禁止と言ったのも商業的な動機で、「まとめサイトがアフィリエイトで稼いでいるのに、自分たちにみかじめ料を払っていなくてけしからん!」というのが理由ですからね。単に「商売するなら俺たちに金を払え」っていうだけのことなので(笑)。

【ばるぼら】「けしからん!」と言っても、そこに倫理的な価値判断が働いているわけではないんですよね。そう考えると、いま残っているのはGoogle的なソフトな環境管理型権力か、バカみたいなキュレーション/バイラルメディア。どっちに支配されるのがマシなのだろうか、という究極の選択ですね。

まあ、佐々木さんがどうのというより、あの頃は界隈の人は訳の分からない熱病に冒されていました。小生などは醒めまくっていたので「馬鹿がなんか集団ヒステリーみたいに盛り上がっている」と眺めていましたけど、そうなるべくしてそうなったということでしょう。

問題は、いまだにその熱病が完全には駆逐されていないことです。多くの発生源の人達は自身の熱が醒めると同時に逃げ出しましたが、それを素直に信じ込んでしまった人達は燎原の火のごとく燃え広がり、未だに消える気配が無いのです。目鼻の利く人達は熱が醒めればイナゴのように別の食い物を探しに飛散するのですが、後続した人達は10年代以降はラガード層やレイトマジョリティ層で根拠薄弱なのに硬直的です。これと信じたら別の仮説をたてたり検証する機能性が最初から無いのです。いずれインフルエンサーが別の旗振りをするまではこのゴミ屋敷維持を継続し続けることになるでしょう。

また、そういう末端のカモネギ達には存在を感知されにくいようですけれど、お金がある程度動く以上はゴミ屋敷の不毛をイチから百まで承知していて状況を維持したい人も一握りはいます。当然彼らは状況を改善しようなどとはビタイチ思いません。極力バカみたいなキュレーション/バイラルメディアに人を引きつけようとしますし、その一方で検索エンジンに干渉する一時的なSEOを高く売ることに終始します。

彼らは目の前に転がる容易いお金のために維持は勿論のこと、ゴミ屋敷は容易に亜種的に容易くコピーして総取りするための手段ですから隙あらば増殖させる流れになるのです。お金になれば何でもいいのですからね。ブログのアフィでお金お金と数十万単位でワホワホやってる人達はさっさとこの層に移行した方が割が良いと思いますけどね。

一体価値ってなんだ?

あくまで私見ですけどね。凄く単純だと思うんです。

何かに困っていたり悩んでいる人がいる。それに対して何かを働きかけて問題解決をする。そこに価値が生まれる。

そういうすごーくすごーく単純なことだと思うのです。問題解決というのは、別に算数みたいに1+1の回答が2である必要も無いんです。技術的な質問など定義を前提とするものであればある程度回答は一点に収束しますし、再現性も極めて高いものになります。

でも、世の中に存在する悩み、課題はそんな簡単なものではありません。個人の感情に根付くもの、倫理観や宗教観、文化、性差、立ち位置などで容易に個別化してしまいます。そういった曖昧で変動するものでも、悩む人にとっては直面する大きな壁な訳です。

そこに対して、他の人が自分なりの考えや経験をぶつけてみることには価値があると思います。問題は解決するかもしれないし、より混迷を深めるかもしれない。とはいえ、何かしらの変化は生まれる。それには一定の意味があるはずだと小生は思います。

断片化の生む断絶化

Webは要求する側が何を問いかけ、何を拾うかというそのプロセスの全てを担っています。旧来のメディアが一方向的にプッシュしてきたのと対照的でプル(引っ張り出す)するから良いのだという文脈でWebは歓迎されました。

しかし、何がどこにあるのか分からない状態でプルしてくるのはとても疲れてしまいます。しんどいのです。だから、そこを担う存在が求められて検索エンジンなり、キュレーション/バイラルメディアのような外部的な評価軸サービスが台頭したのです。それを投資信託のように一定の信用を置いて、自分は価値判断をしないということを多くの人が選択したのです。人が扱える範囲を遙かに超えたWeb空間ではそうせざるを得なかったのです。

とはいえ、投資信託と同じでそれはプリセットした何かな訳でその品質は問われるべきです。多くの人が支持すれば正しい…で留まっていると、多くの人が犯す愚を踏襲することになります。バカみたいなキュレーション/バイラルメディアに至っては、多くの人という建前で単純化して分かりやすいバイアスに誘導するだけになっています。

そういった要求から回答に至るプロセスが全て断片化し、違う解釈から断絶化しています。個人の観点に重きを置いた場合、その個人の能力や知見がお粗末であれば断片化は首を絞めるだけですしまともな信託先も選択できません。

終わりに

ちょっと口が滑りすぎました。でも、いい加減何年やってるんですかね、この堂々巡り。何年どころか既に十年単位になってきているんですけれどね。

今更牧歌的な情報交換には戻れないよ…と知ったような口をたたく前に、一度真面目に目の前に何があって誰がいるのか考えてみた方が良いと思います。ゴミ屋敷にだって人がいるわけで、そういった手がかり足がかりから始めないといつまでたってもゴミに埋もれることになると思うのです。