Publish while resting-ぐだぐだわーくす

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なんでなかなかブログを書き出せないの?

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つぶやきは書けるけど、ブログ書くのは気後れしちゃうのは何故?

ブログあるあるですね。Twitterで頻繁につぶやいているのにブログには書き込むことが出来ない。書きたいな、書こう、書かなきゃって思っている内に一日、数日、数週間、数月が過ぎていき、振り返ってみると前の記事が水分昔だったなあ。もう書くの面倒くさいからいっか…みたいなノリが出てきがちです。

何を隠そう、私自身がそういうものだからです。ええ、書こうと思わなければ何ヶ月どころか年単位で書かなかったりします。何故そんな誰得なことをするの?アクセスもあっという間に落ちちゃうのにね。そう思いますか?でもね。振り返ってみるとやっぱり理由らしい物はあるんですよ。それが他人から見て妥当であったかどうかなんて知ったことじゃあありません。大事なのは何故他でもない自分がそう思っちゃったかなんです。責めるとかでもなくて、自分の認識や行動の源泉はどういったところにあるんでしょうと把握しておくと何か良いことがありそうじゃないですか?

そうというわけで私が思いつく書かない理由、書けない理由を思いつくままに列挙してみましょう。もしかしたら書いている内に「お、これ。よくあるわ」とか「ねえわ、こんなん」とか感じて頂ければ書いた価値があります。では書きますね。

ブログは立派な一個の書き物じゃ無いと駄目とか自分縛りがある

ここまで明確な形になってしまってはいないかもしれません。ただ、ニュアンス的には同じです。

要は立派さとか格好良さ、見栄みたいなものがブログを書くに当たってはあるんですよ。Twitterでつぶやくなら、そんなこと考える前に「これ面白っ!」でつぶやいたりコメント入れたりRTをしたりするわけです。そこに格好良さを求める人はいるのかもしれませんけど、少なくとも私はそうではありません。下手をすると実際に会って話しをするよりも饒舌で軽口で言いたい放題なのがSNSでの発言という奴です。

理由は明確で書いたところで良くも悪くも反応がすぐ分かるんですよね。数字もそうだし、リプライのような反応がパパッと連鎖したりですね。そうなると俄然楽しい訳ですよ。だって本当に寝言みたいなテケトーなこと書いていても「イイネ」とか「自分もそう思う」とか反応あるでしょう。反応を期待していないつぶやきに何かしら反応があるのは、時にうざったい反面、多くは想定を遙かに超えた喜びをもたらすこともあります。

ブログにはそういうご褒美とかカタルシスみたいなのが簡単には得られません。下手な鉄砲も数打ちゃあたる的なSNSに比べると重量級と言いますかそれなりに腰を据えた物を書いては反応を受ける訳です。そりゃあ当たれば楽しいです。でも当たらないと結構がっかりします。それだけに期待を実現すべくそれなりに立派な一個の書き物にしようというのは自然な成り行きと思います。

ブログは長い文章じゃ無いと駄目とか自分縛りがある

ひとつ前のは「立派な一個の書き物じゃ無いと」と似ているんですがちょっと違うんです。形だけでもそらなりに長く書くことをブログ記事なのかSNSの出力なのか区別したりします。本当に内容が詰まっているかどうかは関係無しです。

「意味ねえよなあ」と思ったあなた、まさしく正解です!しかし、ちょっと待ってください。こういう話しなんです。例えば,中身が濃い100文字くらいの内容があったとします。それこそだらだらと10000文字以上書くよりガツンと来るパンチの効いた書き物です。わざと書き物という言葉を選びましたけど、さてあなたはその100文字弱をブログ記事にしますか?それともSNSで流しますか?

私の場合はSNSに流しちゃいます。いかに内容が濃かろうと100文字で1-2行のためにタイトル付けてアイキャッチつけて概要書いてなんてやってられません。ここは人によるところですから他人様のことは分かりません。でも、本当に100文字でやっている人がいたならSNSと同様に手の掛からないマイクロブログ的に運用するか、アクションリスト(To Do List)みたいに列挙するかあたりじゃないでしょうか?

昔の手書きのテキストサイト時代ならSNSなど存在していなかったし、IRCとかfjとかメーリングリストみたいに目的を軸にシェアするような環境ではそういった揮発する言葉を吐き出す場所が少なかったのを覚えています。

要はブログというフォーマットは重いし古いのでしょう

Web日記みたいな前身があってのちにWeblogが開花したように広がりました。手書きテキストサイト中心の頃に比べたら書くことだけに集中していれば誰でも簡単に書くことができるようになったからです。

ただ、その後が拙かった。その先は丸投げになってしまったんですね。確かにHTMLやCGIやJavaScriptみたいな文章自体には関係無い環境構築を意識する必要が無くなったことは偉大でした。しかし、その後に出てきたのはアクセス至上主義や広告収入至上主義です。それはそれでモチベーションを追加できるし実利もあるという良い面もあるのですけど、格差を明確にするプロセスでもありました。

数字で表現できると言うことは比較が出来るということです。無論その比較には前提があってブログの全てを比較しているわけじゃ無い限定的な物なんですけど、ひとたびそういう尺度を持つと誤解がドンドン進みました。本当のところはその尺度は後付けで作られたということも自覚していましたが、人間カウンターであるとかPVとかお金とか数字で表現される物が大好きだし弱いというのはある程度共通なんだと思います。

ただ、その尺度も段々重いし古い物になりつつあるんじゃないかと私は思います。それだけで文章を書き続けられるならなかなか素晴らしいのですが、人間欲が深い一方楽をする方を優先したいので「SNSで十分満足だ」という人が増えるのも自然の成り行きです。いや、それですらSNS疲れで消えていったりするわけですからね。

そもそも出力って楽な物じゃない。楽しいけど楽しさを阻害しないのは難しい

これまた何言っているのか分かりにくいですよね。すみません。

ここまで書いてきたように何か纏まった書き物をするっていうのは慣れやスキルによる差はあるにしても決して簡単じゃあないんです。だから、その簡単じゃあないことに気後れするのは当然のことです。当然の結果に何故もへったくれも無いのですが、人間自分の行動をそのままに受け止めるのは不得意です。過小視したり過大視したりピントが激しくずれてしまいがちです。ですから、この難しさに自覚的な人は意外と少ないと思います。かりに自覚的でも完璧にコントロール出来る人なんてほぼいないのではないでしょうか?

一方で他人とコミュニケーションが取れることは凄く凄く楽しい。蜜の味というと他人の不幸みたいですが、コミュニケーションも蜜の味。ただ、どの方法が最適化という部分では個人個人よく考えて方が良いのかもしれませんね。

ではまた