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積極的に生煮えエントリを公開するということ

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こんにちは!DAC(id:dacs)です。

エントリを書く毎に悩んでいたこと

エントリを書く際にいつも悩んでいたことがあります。

それはエントリを固定的に出来るかどうかです。一旦パーマネントURLを伴って公開されたWebコンテンツというのは、本来固定的であるべきというのが、古いネットワーカにとっては骨の髄まで叩き込まれています。

もし変更を行うならば、改訂履歴を明確にすることが肝要です。そのためのins要素やdel要素です。

これは読み手の立場に立つと分かります。大抵の読み手というのは一見さんです。何かしらの縁があって流入して、その時に公開されている内容を読みます。

そして、よほどのことが無い限り再来して同じURLのコンテンツを読み直すことはありません。後から内容を追加しようが、修正しようが、最悪削除しても気づくことはありません。

従って、読み手に正しく意図を伝えるためには、問題提起から結論までの一環とした構成が固定化したものを提供する必要があります。

しかし、面倒くさい

ぶっちゃけてしまうと、これはかなり面倒くさい。出来ない訳ではないのだけれど面倒くさい。

自分の場合、一旦完成度が一定のレベル以上になるまではどれだけ書いていても公開しない方向でいつもエントリを書いてきました。

それでも、公開してみれば「あ。ここは分かり難い。表現を追加しよう」「ここは具体的な凡例としてもっと良いものが見つかった」「読み返してみるとここは冗長だな」色々不足や気に入らない部分が見つかります。

そうなると、そのままにしておくことは我慢できず書き換えをしてしまいます。面倒なのでその来歴を書くことなく、直接書き換えてしまっています。

あるべきはあるべきと思いつつ、結局実行できていないのです。

そもそも何のためのエントリか?

先に書いた通り、読み手に正しく意図を伝えるためというのは重要な観点です。書き手の独りよがりだけではいけません。伝えたいことをきっちり伝えてこその伝達です。

しかし、どちらを大事にするべきかという優先順位の観点を持ち込むと、そういう結論にはならないなと思い直しました。自分は確かに正しく伝達をしたい。だけど、それに汲々として書きたいときに書けない、公開したいときに公開できないという自分ルールは書くことの邪魔になっているのではないかと思い始めました。

この「ぐだぐだわーくす」の開始は、そもそもTwitterで吐き捨てにしていたような断片的な雑文を出力するためでした。Twitterは発想をそのまま書いて捨てるのに非常に便利なツールです。公開即拡散という仕組みですから、削除は可能であっても、仕組み的に修正や補筆を受け付けません。ですので、変更したい場合は他のつぶやきを重ねるか、削除するか、もしくは訂正しないかでした。一言で言えば書き捨てでした。

それは勿体ないと自分は思いました。

つぶやきは流れの中で目に留まれば行幸というものです。もし、誰かがRetweetして着目を浴びれば途端に拡散されますが、そうでない大半のつぶやきは消え去るのみです。

一目見て良かれ悪しかれインパクトがあれば目に留まります。しかし、自分のダラダラ限界文字数まで書いて、更に別つぶやきに繋げるような使い方は本来Twitterには向いていません。自分なりに気の利いたコメントをしたつもりでも、誰の目にも留まらず消えていきます。

そのレベルのものを書き残せれば良いよね、ブログならすぐ読まれなくても蓄積できるよね…そういう発想が最初にあります。

逆に言えば下調べをしてきちんと書くのは初期想定外

下調べしてひと塊のしっかりしたエントリを仕上げることはとっても素晴らしいことです。

冒頭書いたように、忙しい読み手の方に再読してもらう手間をかけさせることがありません。ちゃんと推敲して必要最低限、且つ十分な表現にすることまで出来れば最高です。

でも、それは結果としてそうなっていれば素晴らしいけれど、自分がここでやろうとしていたこと、初期想定とは乖離しています。

やりたいことを優先順位付けると

何をしたいのかという点を突き詰めると、以下の順(最初の方が優先順位高い)以下のようになります。

  1. 思いついた内容、感じた内容が揮発しないうちに書き留めること
  2. 書き留めたプロセスで気付いたことを積み足すこと
  3. 言及やコメントに刺激を受けて気づいたこと、調べたことを積み足すこと

自分が恐れるのは感じた瞬間、思いついた瞬間から、他のことに気をそらした途端に感じたこと、思いついたアイディアが揮発してしまうことです。

若い人ならそうでもないのかもしれませんが、自分は若い時分から短期記憶が極めて脆弱でしたし、年を追うごとに加速度的に酷くなっています。

ですから、それぞれの瞬間瞬間を何かしらの手段で記録しておきたい訳です。忘れてしまってから「ああ、なんかいいこと考えついたんだけどなあ!」になってはもう手遅れです。9割9分くらいは復元できません。

だから生煮えで良いからこれと思ったら書いて公開する

まずは生煮えで良いから書いておくことが一番大事です。品質を問うよりも、まず忘れないようにすること。最低限、未来の自分が読んで何を書いていたか理解できるレベルだったらそれで良し。

なるべく出来る限り丁寧には書くつもりですけど、自分以外が読んだとき必ず再現できるかまでは保証しませんし、出来ません。

努力はするけれど、所詮違う人なので「ここまで細かく書いたのに!」ということでも言葉が足りなかったり、誤解されたりはままあることです。

それに、それらは指摘を受けて「その人に何が伝わっていないのか?」「どうして伝わっていないのか?」を解明するプロセスを経れば、そこからでも補足修正できます。

最初から完璧である必要もないし、それが出来ると驕るほど能力がある訳ではないのですから…。ぶっちゃけそこはそういうものだと諦めても問題ないんじゃないかなと思ったのです。

試行錯誤ですけれど

これに限らずブログはトライ&エラーでやり方を改善していくのが一番でしょう。これが最善策なんてものは多分無くて、その時点その時点でよりマシな方を選択して、その結果を次に反映させていく。

そういうPDCAを回していけばいいのかな…と思い始めました。