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2つの心を打つ言葉「世の中に存在する価値」と「生き残り」

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こんにちは、DACです。

今回は、心を打つ言葉についての覚書きです。

大切にしている判断基準は『この製品は、世の中に存在する価値があるか』

稼働開始から1年の「Pokemon GO」はダウンロード数は累計7億5000万回、利用者が歩いた距離は合計158億キロ、捕まえたモンスター1250億匹となる。数値を見るだけでお腹いっぱいという感じになる。このゲームの開発会社のナイアンテックは「Ingress(イングレス)」といったポケモンと同様に位置情報を使ったゲームでも名が知られている。

ハンケ氏とナイアンテックについて

CEOのジョン・ハンケ氏は、2005年Google在籍中に地図サービスを担当する「Geoチーム」の責任者としてGoogle Earth立ち上げに従事、iPhoneにGoogle Mapを搭載させるのにスティーブ・ジョブズを説き伏せたとも言われている。ナイアンテックは元々はGoogle内に作られた「ナイアンテック・ラボ」が前身で2012年に「Ingress(イングレス)」をリリースした。ただ、この「Ingress(イングレス)」は出来は良くいまだコアゲーマー中心に人気のあるものであるにも関わらずGoogle社内での評価は低くAndroid部門への吸収を検討された。

折しもポケモンの話が全くの瓢箪から駒といった感じで立ち上がり、ハンケ氏がGoogleにナイアンテックのスピンオフを提案、独立に至った。資本関係はGoogle、任天堂、ポケモン社、エンジェル投資家の混合だが、これによりGoogleの業務範囲での縛りを無くし、指図されること無く作りたいゲームを作りやすい環境を実現した。

心を打った言葉

ARの課題


――課題は何ですか。
 「ARに関してはまだ多くの誤解がある。ポケモンGOのモンスターはどこにでも現れるのではなく、(公園や水辺など)そのモンスターが生息するにふさわしい場所に現れるのが特徴であり、醍醐味だ。我々は『なぜそこにいるのか』というストーリーにこだわった。部屋の片隅にダース・ベイダーを登場させたとしても、利用者を納得させるストーリーがそこになければ、本当のARとはいえない。ストーリーを含むゲームのデザインは、技術以上に重要だ」
恐らく技術者と言われる人達は、ストーリーを含むゲームのデザインは、技術以上に重要という言葉をスルーしがちだ。いや、技術者で無く販売やマーケティングをする人もそうだし経営者もそうだろう。高度な技術、他に真似が出来ない高いスペックの部品や製品が、顧客にとってよりお金を払う付加価値を生むと信じている人が多い。

しかし、その考え方は根本から間違えている。彼らの口癖は「良い製品だから売れるはずだ」だが、その実は「高度な技術、高度な仕様の製品だから売れる筈だ」であって「顧客にとって良い製品だから」ではない。例えば、液晶やOLEDであれば解像度、画面サイズ、コントラスト、輝度、薄さ、ピクセル数、視野角、稼働環境(温度、湿度他)、額縁幅、消費電力といった個々のスペックと価格の兼ね合いを売りにするだろう。それが高度であればあるほど価値があるというわけだ。

確かにそれらは使用者にとって要求をパターンの延長上で捉え愚直に高度化してしのぎを削るもの。決して無駄ではない。ただ、数値の機能はすぐに後続が追いつき陳腐化する。その結果、どこを眺めても同じような物しか出てこないし、チキンレースのように切迫した闘いの中で薄利多売で苦しむことになる。

ハンケ氏の口にしたストーリーとは、利用者の納得感を意味している。そこには必ずしも高度な技術や仕様は必要ない。現実問題、使用者の物理環境に即した挙動を作り誤動作を排除していくのは高度な技術を要する筈だがそこは措こう。本質から外れてしまう。

大事なことは何を捨て何を創るかの選択だろう。そう、日本の使えない経営者が大好きな「選択と集中」だ。彼らはこの言葉を口にしつつ理解も実践も出来ていない。ハンケ氏のストーリーを含むゲームのデザインは裏を返せば非常にリスクが高いものだ。当たるかどうかは保証の限りではない。事前に利用者の納得感を得て開発したわけではない。ただ、そこに拘って創り通そうという意思がハンケ氏にも従業者にもあった筈だ。その確信に至り突き進むか否かが結果に表れる。

不確実性を信念と判断で押し通る


――ポケモンGOを超える自信はありますか。
わからない。(グーグル在職中に)『グーグルアース』を作った時もダウンロード数が10億回を超えるとは想像もしてなかった。ナイアンティックを創業した時も達成したい数値目標があったわけではない。新しいものを作る時、大切にしている判断基準は『この製品は、世の中に存在する価値があるか』だ。この原則を変えるつもりはない」
先の内容とかぶるが、続けよう。

ここで重要なのは、この先どうなるかは分からないという諦観がまずあることだ。諦観とは敗残者として諦めるの意味ではない。出来ることと出来ないこと、分かることと分からないことの別を知ること、人としての身の程を知ることに他ならない。

神ならぬ身で先のことを確信していると断言するのは、怪しいえせ宗教家や政治家の専売特許であって経営者や開発者のすることではない。先のことは分からないという事実は事実としてまず認めるのが先決なのだ。

その上でどうするかを決断する指針を設定する。ハンケ氏の場合は、大切にしている判断基準は『この製品は、世の中に存在する価値があるか』だ。仕様ありき、技術ありきではない。それは存在する価値がある物を実現するのに必要となるかも知れない道具や要素であるに過ぎない。逆に言えば、世の中に存在する価値がある物を確信するならば、今存在しない技術や製法を発明したり、全く畑違い分野から取り込み、既存の高度な技術を使い物にならない廃棄物として捨てることも辞さない。

いずれにせよ、何を軸とするかの違いは結果を変えてしまう。

目標は「生き残ること」

HUAWEIは三星、Appleの二強に迫るシェアをスマートフォン市場で得るに至った中国メーカ華為技術のことだ。日本国内ではP8liteあたりから頭一つ抜けて存在感を示し、P9lite、P9(2016夏モデル)は格安SIMの台頭と連動しコストパフォーマンスの高い製品を提供する会社としての位置付けを確実な物とした。

HUAWEIと呉波氏について

元々は固定電話、携帯電話問わず全世界のキャリアなどが通信基地で使用する様々な通信機器で世界的なシェアを誇る会社であり、ガラケー時代から日本の三大キャリアにOEM、ODM製品を卸していたこと実績がある会社でもある。その際に培った携帯電話、スマホの製造技術や市場情報から対日本にターゲティングした製品開発に長けている。自社ブランドを打ち出すにあたってもそのノウハウを生かし、単純な他社のスペック競争には巻き込まれず、バランス取りが上手いことには定評がある。

この会社の日本・韓国地域端末部門担当副社長の呉波氏が常に口にする言葉は「生き残ること」だ。後述するが、これは呉波氏のみではなくHUAWEIが社として持つ信念と言って良い物であり彼の略歴は割愛する。

心を打った言葉

生き残るとは、必要とされる物をいかに見極めるか

スマホなど製品に対する先進機能の搭載や新分野への開発投資で業界をリードする企業にもかかわらず控えめなどという評価が多く、謙虚さと受け止められることが多い。これは真逆だ。とんでもない勘違いだ。

呉波氏が謙虚なのではなく、行き残りに集中できない経営者が暢気で増長しているだけのことだ。


成熟市場は伸びしろが小さく見えるが「既存メーカーは研究開発よりも価格競争を重視してきた」(呉副社長)と、市場停滞の原因を指摘する。低価格帯の市場は狙わず、技術によって需要を掘り起こす。
ここも記者は恐らく聞き違えている。HUAWEIは確かに技術投資はケチらない会社ではあるけれど、野放図に新技術を開発しているわけではない。だから、技術によって需要を掘り起こすと書いてはミスリーディングを引き起こす。HUAWEIは生き残るためにマーケティングを徹底し、ユーザーの行動と要求の急速な変化をいかに正確に押さえるか、その変化をいかに予想し先取って形にするかに技術を投入するかに特化している。需要は技術によって創られるのでは無く、既に想定され予想された需要を実現するための技術を選択し、その結果としてこれまで存在したのに脚光を浴びなかった需要に焦点を当てる

何故そんなことを小生が確信できるか?

簡単だ。HUAWEI自身が公式に「これからの通信業界を生き抜くために」そう書いているからだ。


人々の生活時間がより細分化されるにつれて、ユーザーは「待つ」ということに耐性を失ってきている。ユーザーが求めているのは、快適かつ効率的な瞬時のアクセスだ。こうしたユーザーの行動や態度の変化を理解するためには、新しい手法が必要になる。

フランス・テレコムとソフトバンクは、VUCC(Variety, Uniqueness, Comfort and Connection : 多様性・ユビキタス・快適性・つながり)というコンセプトと感情ピラミッド・モデルを他社に先駆けて導入した。VUCCは人間の基本的要求を表したもので、ユーザーの要求が明らかに進化していることを示している。その中でも、ユビキタスなブロードバンド・アクセスと家族や友人、同僚などとのつながりに対する要求は特に高い。

HUAWEIは単純に需要調査をしているのではなく、行動と感情の関係に足を踏み込んでいてユーザの要求がいかに高度化しているかをはっきり理解している。申し訳ないのだが、「良い製品が出来れば売れる」の良いを判断する根拠が技術主体の人達のいうものなど鼻くそ未満なのだ。そういう思い込みと現実には何の関連性もない。HUAWEIはそれがいかに追いかけ実現することが困難かを知るからこそ「生き残る」という言葉を選ばざるを得ないし、それは極めて正確な言葉遣いなのだ。


VUCCと感情ピラミッドが示すように、SPが単独で生き残り、成長していくことは不可能だ。通信事業者が生き残りを図るためには、バリュー・チェーンにおける自らの役割を見極めた上で、オープンな協力関係、プラットフォーム共有、イノベーションを軸とした戦略を維持していかなければならない。

先行き高度化する顧客需要の進化に単体の通信業者のサービスの延長では生き残ることは不可能と断言している。これは予測ではなく事実として確信している。だから、どうすべきか?にすぐさま手をつけなければならない。他社がどうあるかではなく、軸は需要ありき。そこで「生き残ること」が絶望に瀕するほど難しいことを知るから、彼らは前を向いて進むのだろう。

終わりに

ナイアンテックとHUAWEI、全く畑違いでやっていることも進む方向も違うように見える。

しかし、いずれも価値とは何かを見失わず、それだけを求める求道的な姿勢は通底して同じだ。そこを見失うものは「これは売れて然るべきだ」と言いながら敗北していくのは当然だろう。

無論、彼らのような時代の寵児とて先を見通せるわけではない。巨大なキャッシュを持っていようが今日明日吹っ飛んだところで別に不思議はない。それでも今パッとしない会社が何を持っていないかと言うことの明らかな解答を彼らは惜しみなく明言し続けている。

簡単に実現できるわけではないことを熟知しているし、ある意味侮られてもいるのだろうと思う。悔しいと思うなら、同じ土俵に上がりたい。それが分からない上がいるなら、その素っ首を刈ってでも変えないと駄目だ。そう思った。

単純に「HUAWEIいいなあ」「ナイアンテックいいなあ」とか青い隣の芝見て転職考えている場合じゃないよ。そんなぶら下がり社畜や勘違いの移転には何の意味も無いのだから(*‘ω‘ *)。。