待ち時間が大嫌いだった私が必要時間として有効活用し始めた件について
おはようございます。
目がピッカリ開いてしまいました。頭もしゃっきりしてきたので、せっかくなので覚書きの一つでもしてみることにします。本日の日の出は6:32 AM,Sunday, December 2, 2018 (GMT+9)だそうです。最近は「日の出」とか「日の入り」を検索すると即時こういう情報が入手できるのだから凄いですよね。まあ、とにかく今は真っ暗に近いお時間でこれから少しづつ明るくなっていきます。
さて、標記の件についてなのですが、ドヤ顔をして高みからお話ししたいかと言えばそうではありません。自分がやってみてそこそこ上手く出来ている気がするんです。だけどそれが他の人には昔から当たり前過ぎることなのかもと思ったりします。
一方で今まで明らかに自分には出来なかったことが出来るようになったという達成感で嬉しいというのはあります。時折顔がゆるんでニマニマしているので傍から目にすると気持ち悪いだろうな…とは思うのですが、なかなかまだこの点は改善できません。
待ち時間ってどういうものですか?
あくまで私の理解です。辞書を調べた結果でも他の方に問い合わせたわけでも無いのでズレていたらごめんなさい。
待ち時間とは「何か有用な別の作業や行動の予定が先にあります。だけど、それを行うまでに暇な時間や使いにくい細切れの時間が出来てしまった場合それが待ち時間になります。待ち時間は大抵の場合、目的地へ移動するために発生するものだったり、信号が赤で止まったり、何か他のことをするには使いにくい半端な空き時間だったりします。具体例を挙げてみましょう。
- 通勤電車で電車が来るまでのプラットフォームでの電車待ち
- 通勤電車で電車に乗って移動している時間
- 何かを得たりサービスを受けるために並んだ行列で自分の番が来るまでの時間
- 横断歩道の信号や交通整理などで移動出来ない、或いは移動しちゃ生けないとされている時間
- 混雑したエスカレータに乗っている時間
- デート(他なんでもよい)のために早く着いたものの何か落ち着いて行動することが出来ない半端な時間
- 料理をしている途中、機械や状態に任せて暫く放置しておく必要があるけど目を離すわけにいかない時間
- 赤ちゃんや子どもが寝付いているけどいつ起きるか分からないので目配りしつつ行動に制約がある状態
- 布団に入ってうとうとと睡眠導入状態になるまでの時間
まあ、キリが無いですよね。この程度にしておきましょう。もっと良い事例がきっとある筈です。ただまあ、私がパッと思いついただけでもこんな感じで幾らでも湧いてきます。これを読んだ方もご自分に当てはめて自分にとって何を待ち時間と思っているのかを思い浮かべてみてください。全くそんなものは思い当たらないって人も稀にいらっさやるかもしれませんがそれは自覚が薄いだけな気もしないでもありません。
とにかく人間というのはかくも待ち時間だらけなのかというくらい待ち時間を過ごしています。よく空気のように普段認識が無いけれど、いつでもそこにあるもの。無いと死んじゃうような無くてはならない大事なものといえるかもしれませんね。
待ち時間は無駄時間なんでしょうか?
無くてはならないものと言われると「うーん?そうかあ?」と思う人も多いでしょう。私もそうです。待ち時間が無ければ、常に大事な用事や目的の行動だけがほぼ繋がって発生している感じになります。この場合、疲れたから途中で休むというのも大事な用事になります。人間は機械では無いから疲れるし、あまり根を詰めると集中力が激減したりミスも増えます。適度に休みつつポンポンポン!っと小気味よく事が進められれば気持ちよいことでしょう。
一方、待ち時間はその気持ちよい流れを邪魔する存在と考えることが出来ます。本来その時間を過ごす必要は無いのです。ただ、これらには社会の要請であえるとか物理的に時間が経過しないといけないとか理由があるのです。それも嫌だろうが好きだろうが従うしか無い状況が存在して「待ち時間」として我慢するしか無い結果を生んでいます。自分から望んで選択したわけでは無く、他の何かから強制されたものというのは余程マゾ気質であるとか奴隷気質であるとか出ない限りは嬉しくないでしょう。
そうなると、待ち時間は出来ることなら回避したい嫌なもの、回避できないなら他に何か用事を作って回避したい厄介者という位置付けになってしまうのも仕方ないことなのかもしれません。
待ち時間の過ごし方
色々あります。でも、私が見かける他の方達の待ち時間の過ごし方は結構同じようなものです。
待ち時間を暇つぶしや他の用事に転換して有効活用
- スマートフォン、タブレット端末等でSNSで有人、知人と交流する
- スマートフォン、タブレット端末等でゲームに没頭する
- 読書をしたり、新聞を読んで情報収集したり楽しい時間を過ごす
- 音楽や動画、写真、音声ファイルなどの視聴、閲覧で楽しい時間を過ごす
- 電話や電話会議をする
- 交通状態や現在起こっていることなどのニュースや情報を収集する
- ネットショッピングやネットウィンドウショッピング
- 遠隔操作で家族の状態を把握したりコミュニケーションを取る
これもキリが無いので皆まで書くのは意味がありません。ただまあ、今時は大抵スマホが待ち時間の時間つぶしに必須アイテムとなっています。何しろコンパクトだし、その割に多機能高性能です。日々機能追加されたり外部サービスとの連携が高度化し増加しています。そのうえ多くはネットにさえ繋がればその莫大な機能群を利用できますから使わない手はありません。
待ち時間が嫌なのでとにかく慌てて急ぐし楽をしたい
これもよくお見かけします。
- 赤信号で待つのは嫌だから点滅したら横断歩道にさしかかる2-30メートル前からダッシュしてきて赤になっても渡りきる
- 並んで待つのが嫌だから脇から何気なく割り込んで見て誰からも指摘されなければ、何食わぬ顔でそのまま溶け込む
- 駆け込んで間に合う電車があるなら目の前の人を押しのけて舌打ちや暴言を吐いたりしながら閉まるドアをこじ開けて乗り込む
- エスカレーターはとにかく早く歩いて登るし、それが出来ない状況は恫喝したり力ずくで解決することに余念が無い
- 歩いていて自分より遅い人が前にいるとつい煽ったり、勢いをつけて追い抜く
- 両手はスマホの操作で一杯一杯だし、釣り手つり革なんて汚いから触りたくないので、他人の背中をスマホ台にしたり揺れてバランスが崩れても他人をクッションにする
おやおや。私が普段から「何だかなあ、馬鹿なの?」と悪態をついている私怨ばかりが並んできましたね。いやまあわざとです。でも、当たらずとも遠からずでこれをやっている人は指摘されたら自覚あるでしょうね。まあ、常習的すぎて「みんなやってるし、これくらい許容してよ。うるさいなあ」くらいの開き直りも珍しくありません。何しろ自由という観念が我が国に入ってきて以降、自分がやりたいことをする自由は拡大解釈がごくカジュアルに行われています。
経済界的にもそれを助長した方が何かと都合が良いです。ですので、金になって自分たちへの不都合が勝らない限りは「もっと楽で暇をつぶせます。少しはお金も頂くこともありますが」的な提案はします。しかし、待ち時間そのものを正面から捉えるなんて面倒を背負うなんてきっと思いも寄らないことでしょう。
他にも様々な都合によって個別最適が高度に進んだ結果待ち時間は解消されず、ただただ雑に潰し混んだり、どうでもよい行動を有効活用していると信じて時間つぶしに邁進するのが我々現代日本人のライフスタイルとして定着しています。
待ち時間が大嫌いだった私が必要時間として有効活用し始めた件について
私もね。待ち時間って大嫌いなんですよ。せっかくならサクサクと必要なことだけやって、後は剰余時間というか自由に自分が好きに出来る時間として活用するなり昼寝するなりに費やしたいのです。
でも、現実にはそれが容易に出来ないからスマホでどうでもよさげなことを調べたり、Twitterでクソリプを発行しては嫌がられてみたりしています。或いは、雑に乱暴に急いで自分勝手なことをやらかしては「こんなことやってちゃ駄目だよな」なんて反省した矢先にまた繰り返してしまったりしてきました。度しがたい馬鹿っぷりです。
まあ、頭がよろしくないのはもう自覚しているのでどうでも良いですが、他人様に迷惑をかけ続けるのを看過し続けると真実カスになってしまうのでそこはなんとか避けたいところなどと思い悩んでいました。まあ、半ば本当で半ば嘘です。思い悩んではいましたが結局何も有効策を打たず仕方ないよねと開き直っていましたしね。控えめに言っても駄目な人であることには変わりありません。嫌ですねえ。
さて、自虐趣味というハイソサエティ固有っぽい趣味を私は持ち合わせていないので事実確認はこの程度にしてようやく「待ち時間を必要時間にしたこと」について簡潔に書いてみましょう。
スマホはいじるけれどあまり画面を見ないし、体勢や状況不安定なら他のことをする
嘘を言ってもしょうが無いので正直に言いますが、スマホは相変わらず便利に使っています。ただ、画面をいちいち見る使い方は減りました。まず、受けるだけの情報はスマホ画面以外から取得する比率を増やしました。
テキストであれば音声読み上げで変換可能なものが多いです。読み上げて貰ってそれを聴きます。操作は最低限でできるように環境を整えています。また、聴覚を全て潰すのは危険なので片耳のイヤフォンを愛用しています。最近は音声ブックや纏まったニュースの録音提供も増えているのでコンテンツには困らなくなりつつあります。
また、必ず片手は何か支えになるものを掴んでいます。操作のために使っていない状態なら両手を身体の安定のため使用出来るようにしておきます。
接触感染を怖がるのであれば、そもそも公共移動手段で人が多い時間に移動すること自体見直すか、アルコール消毒や手洗いの励行などでかなり回避できます。絶対を望むのであれば使い捨ての絶縁手袋でも用意すれば良いでしょうが私はそこまで潔癖でもないので普通につり革や握り棒を握っています。後で洗えば大抵問題ないです(流石にガムが付いてたり、痰や鼻水や排出物を見つけたら触れませんけどね)
両手が埋まったら何も出来ないですか?いやいや、世の中なんて情報だらけですよ。考え事をしておいて経緯や一時的な結果などを後で記録するなんてことをしていればある程度の時間は有効活用できます。
それに周りを見てみましょう。近くにはどんな人がどんなことをしていますか?共通点もあれば固有なところもあります。はっきり言って見るからに危険そうだったり、気分悪そうだったりする人もいます。でも、大抵の人はそれに気付きません。人間は他の人に興味をあまり持たないんです。自分が気にくわないことがあれば、ほぼ知らない相手にでも斜め後ろから切り込むことに何の呵責もかんじないようですね。
とにかく他者がどういう人でどういう状態なのかに興味を持って確かめる人は少ないです。すごく面白かったりすごく必要な確認だったりするのですけど、気付いていないとそもそも他人がそこに確かにいるということすら認識していないんだろうなあと感じる振る舞いはよく目にします。私も今でもとても言えたもんじゃ無いですがね。
わざわざ危険なことはしないし、どうしようもない待ち時間なら使い方を変える
雑に乱暴にやっているようで、本人としては細心の注意もしているのでしょうね。
ほぼ赤信号になっていても渡る人の多くは車に轢かれていません。私の目の前でそれで轢かれた人は今までの人生で二回目撃していずれも私が救急車を呼びました。搬送後のことはわかりません。多分お元気でしょう。それに他の方は平気で渡りきった後も凄い勢いで人混みをかき分けたり、体当たりしながらブルドーザーのように進んでいくのですからそれはそれで楽しいのかも知れません。
電車で降りる人を押しのけて中に入りこんだりするとか、きっと体調や身体の具合が悪いだろう人を押し退けたり悪態をついて駆け込み乗車する人達の気持ちもまあ理解は出来ます。余裕が無いのですよね。一本乗り過ごして5分10分待つなんて赤の他人の存在に邪魔されるなんて許容できないのでしょう。彼らとしては十分丁寧で、当たり前の自分のあるべきを公使しただけかもしれませんね。
私ならそんな状態に陥るくらいなら待ちます。信号なら点滅した時点で横断歩道に差し掛かっていないなら邪魔にならない場所で停止します。電車も無理なら走り込まず落ち着いた場所を探します。何故ならそんな危険なことをしなければならないほどの急ぎの用事が無いからです。もし、本当に急いでいるなら移動時間の設定自体を前倒して余裕を持つなり、用事の方を後ろに調整し直します。また大抵の状況は信号の一回、電車の1,2本で時間は経過しません。せいぜい待って10分-15分。普通は2-3分です。たかが知れています。
待っている時間も「待ち時間」として認識すれば時間の無駄に感じます。でも、その限られた時間、限られた空間で出来ること本当によく考えましたか?考えずとも試したこと、試行錯誤したことはありますか?それをやりきっているなら凄いことですが、やりきっていて尚時間が無駄になってしまうとするなら私がその状況を伺いたいです。不可思議過ぎます。
使い方を変え、他の何か出来ることをする時間に変換した場合、待ち時間はその実行の制約時間となります。また出来ることが多いなら一つと言わず対応出来るだけ詰め込んでも全く問題ないです。待ち時間とは与えられた自由時間なのですからどう使おうと損になることはありません。
そうはいってもねえ
はい。そうですね。人間はそう簡単に変われません。他人が言うことなんて信用したくないし、素直に聞いたら負けたような気がしてムカつくし上から目線のような気がしてならない。だから、やりたくないし、これはデタラメだと決めつけたい人も少なくないでしょう。全く構いません。
私はあなたではないし、あなたは私ではありません。好きにすれば良いです。でも、私が今行っていることは私にとっては役に立つことです。
んー。なんか誤解を生む表現ですよ、これ。元がどれくらいかによりますけど、リミットを外す方法は意識的に外している人と結果的に外れてしまった人がいます。私は明らかに後者です。人には向き不向きがあります。私みたいにこじあけられてしまうのはその人にとって幸せかどうかは悩ましいですよ。
— DAC(InOtherWords,"daccot""ダックん"All of them are OK) (@daccot) November 28, 2018
事象としてリミットが外れますよ、というのが趣旨です。
— NAE@3倍速 (@naenotenet) 2018年11月28日
向き不向きや幸せになるならないまでは踏み込んでいません。
……というレベル感で書いたつもりだったんですが、伝わりにくかったですかね(´・ω・`)
なるほど。諫言感謝です。
— NAE@3倍速 (@naenotenet) 2018年11月29日
私はNAEさんの書いていることの意味も分かりますし、あえてこういう断片に書くのはどうかと思いツッコミを入れました。
何故これをここで引用するかと言えば、私の場合「待ち時間が大嫌いだった私が必要時間として有効活用し始めた」ことにより結果的にそれを行う前の5倍を優に超える結果を得るに至っています。当然報酬もそこまでは増加しませんけれど増えています。自慢したいわけではありません。ただただ無意味で自己満足の待ち時間の使い方は他人にとっても自分にとっても百害あって一利あれば超ラッキーってくらいだから自分の考え方や行動を見直した方が良くないですかというただの提案です。
まあ、そこらへんいくらでもお好きにしてくださって構わないんですけど、私の背中はどこをどう間違えてもスマホ置き場じゃないことだけは強調させて下さい。グーで顔パンするかスマホたたき落として踏みつけたい気分になるのでどこか遠くでやって下さいね(*‘ω‘ *)<マジで。