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社会的に無能?いいえ、「可能性はいつだって私たちの手の中」にあります

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デジタルガジェットを使う技能が無いことが「社会的に無能」?

Twitterで見だしのような趣旨のつぶやきを目にしました。残念なことに、「デジタルガジェットなんて難しいし面倒だし触りたくもない」という人は少なからずいます。そして、彼らの多くは「そんな物を使わなくても出来るから使えなくても良いだろう」と高を括るところがあります。

しかし、今時デジタルガジェットをある程度使いこなせるようでなければ、本当は楽を出来るところを色々と遠回りすることになったり、仕事を選ぶ範囲が狭まってしまいます。件のつぶやきにあるようにレジやPOSを使いこなさなければならない職場では、教育に時間をかけ過ぎるとコストが高くパフォーマンスが低い人材と見做されてしまうのも仕方ありません。そういった状況に陥ることだってありうるのだから、最初から熟練している必要は無いけれど拒絶せず順応力を高めておく必要性があるという意味で半分同感です。

ただ、私は一概にデジタルガジェットを使う技能が全てだと思っていません。また、デジタルガジェットを使う技能だけで他者と差別化出来る期間は最早賞味期限が見えていると思っています。その観点でデジタルガジェットを使う技能が無いことが「社会的に無能」と断じてしまうのはそれに依って立ちたい人達の認識をを窓わす極論で、その技能の上に価値を見出そうとするのは砂上の楼閣の上に居場所を求めるような危うさを感じます。

コンビニエンスストアの店内業務は恐ろしく多岐に渡る上に大量にあります

なるほど日本のコンビニエンスストアの店内業務を行う上ではレジやPOSの滞りない使用、各種電子マネー、多機能コピー機、コーヒー等の自動什器の清掃・充填などへの対応といった情報端末、機器の操作は勿論、お客の待ち行列の効率的な対応、接客態度、2500種以上の取扱品数の陳列、在庫を含む数量・価格・配置の把握、商品ロスの廃棄処理、店内・ゴミ箱・イートイン・窓・床・トイレ・駐車場・調理場所の管理、季節イベント企画やチェーン本部指示の企画への対応、他にも色々と挙げていけばキリの無い程の仕事量と種類があります。

確かにスムーズな売買のためにレジやPOSは基礎技能ですが、それ以外の多くのことを疎かにして良い訳ではありません。その全てに顧客が許容する範囲で適応できることがコンビニエンスストアの店内業務では要求されます。その中でレジやPOSのような一部分の仕事だけを取り上げても偏っています。

その要求される過大なまでのサービスや作業量に比して収入が低いため、若い日本人はコンビニの店内業務を選択しなくなっています。今となってはコンビニの店員と言えば、外国から来た方が大半を占めています。衰退しつつある日本にわざわざ勉強や仕事に来る以上、彼らが元から情報端末に精通している訳では無いように思います。また、仮に日本の若者であったとしても機械に詳しくない子たちも一定数以上実在しています。

高齢者で今まで仕事上あまりデジタルガジェットに縁が無かった人が急にコンビニ店員をせざるを得なくなる状況が増えて、目にしがちになりました。だから、彼らがコンビニエンスストアの店内業務を行う力量や資質が低いということは否定できません。しかし、だからといって殊更に”彼ら高齢者だけが「社会的に無能」とすること”も”レジやPOSのような業務の一部だけが全てのように拡大しているように見せてしまうこと”も無理があるのです。

身体一つで放り出されたとき、すぐさま何が出来何が出来ないのかがその人の能力でしょう

私は自分の身体の外にある何かが常にあてになるとは思っていません。

一つ状況を変えてみましょうか?あなたは日本では無く通信インフラも発達しておらず、電子機器を持ち込むことも困難で、言語も風習も異なる土地へ行かざるを得ない状況になったとします。そのとき、すぐさま自分が何が出来、何が出来ないのかを把握し、自分が生きるために実際に行動して結果を得ることが出来ますか?

私が思うに、それがあなたの能力です。「通信インフラや電子機器が無いから何も出来ないよ」と日本語で愚痴を垂れたところで誰もあなたを相手にしません。仮に言語能力はあったとしても、それだけでは駄目です。相手にとって利益をもたらすような何かを行動の結果として示さないことには、排泄をするだけのゴミ扱いされてもおかしくないでしょう。非常に残酷な言い方をしますが、その能力を持たない、持とうとしない人は、仮にデジタルガジェットやネットを使う能力があったとしても「社会的に無能」と判断されてしまいます。多数決的に判断するならば、世界の観点で捉えるならば、まだまだ圧倒的にアナログで物理的なものに支配される構造が主体なのです。

私は「通信インフラや電子機器」を低く評価しているのではありません。ただ、それが全てではないし、それが使えるからといってそれ以外の能力が必要なところで役立つ訳ではないということです。いずれもあればあっただけ役に立つ技能や技術なのですから、いざというとき使えるように準備しておくことや、すぐさま出来ずとも拒否反応を示さず順応可能な範囲を見極めて実行することが大事なのだと思うのです。

しのさんも、この点は個人の資質と切り分けをされています。


その人がどう捉え、判断し、変化に対応出来るかどうか。変化を嫌がるのは人間の本能だと思いますし、いかにそれに立ち向かい乗り越えるかは万能薬が存在しない大きな課題です。

デジタルガジェットを使う技能だけで他者と差別化出来る期間は最早賞味期限が見えている

冒頭辺りにこう書いたことにカチンと来る人もいるでしょう。これはあくまで私の考えで、決定的なことではありません。しかし、ある程度の根拠はあります。

「今存在するデジタルガジェットは完成形でしょうか?」この問いには多くの人は首を横に振るでしょう。その通りです。技術はどんどん進みます。今存在するデジタルガジェットは人間が操作する無駄な部分が多すぎます。今の技術ではまだ乗り越えていない煩雑な操作はいずれ不要になっていくでしょう。勿論、人が必要な部分というのは常に残り続けるのですが、それでもガジェットの操作の特殊性や煩雑性が解消されていった暁には、操作技能などというもの自体人間が関わると効率が下がるような領域まで突き詰められるだろうと思います。

ガジェットは情報収集、収集した結果の解析、解析結果によるパターン化、パターンの中の最適解の選択と言ったことを定義することが可能であれば恐ろしく早い速度で実行してくれます。さて、その定義はどこから収集されるか、どう最適解を求めるかを考えてみて下さい。

答えを言ってしまうと、先に書いた発想力やコミュニケーション能力、創造力、変化に対応し実際に行うというアナログな技能に長けた人が担うことになります。対して、限定的な状況にしか適応しない操作者がひな形になることはあり得ません。

実のところ、しのさんと私が言っていることは大差無い気もするのです。いずれも変化に対応しようとしない人は苦労をするし、適応できる人は生き残りやすいという文脈です。しかし、つぶやきの反応を目にしてこの表現を都合良く受け取ると激しくミスリードしまくりそうだなあと思い、書き残してみました。

さて、この文章を読んでくれたあなたはどう思いますか?あなたはどうなりたいですか?

お答えは私に伝える必要はありません。私は微力なので聞き止めるほど余力を持て余していません。因果を背負わずに済む術が無いという現実にどうつきあうかは常にあなたの選択に依存しますし、経過も結果もあなたの財産そのものです。

願わくば、この本で語られるような残念な方向に進まないことを祈ります。