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私の2018年オススメ本!!「あなたのプレゼンに「まくら」はあるか? 落語に学ぶ仕事のヒント」

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こんにちは。今回は2018年に読んだ本の中で特に私の心に残った作品についてを書いていきます。(お題「BOOK OF THE YEAR 2018」

タイトルは「あなたのプレゼンに「まくら」はあるか? 落語に学ぶ仕事のヒント」です。
www.audible.co.jp

実は目で読んではいません、耳で聴きました!

別にひねくれてそう書いているのではありません。事実として、私はこの本を目を使って読んではいません。耳で聴いただけです。

そうというのも、この本はオーディオブック、読み聞かせをしてくれる本なのです。勿論読み聞かせというからには元となる本はあります。

ですから、内容はそちらと同じ筈です。「筈」と書いたのは、わざわざ同じ本を買って確かめているわけではないので推測です。

ただ常識的に言って同じ内容じゃ無ければ同一題名で出すのはちょびっと憚られるのではないでしょうか?

従いまして、より厳密にこの記事はお題に従ってはいない訳ですが、まあいいですよね。

細けぇこたぁ良いんだよって言うじゃ無いですか。目くじらばかり立てて細けぇことを重箱の隅突いているとケツの穴が狭くなります。

おっと失礼。下品な上に同義反復でしたね。

とにもかくにもこの程度のことは、ジョヴァンナさんに限らずこれを読んでいるあなたもOKですよね(*‘ω‘ *)ぐふふ。はい、これも読書です。

私にとって、実を言えば本は結構身近にあって遠い存在です。

よく本は知識の源泉とか、読んでいる人ほど思考が深くなって頭の回転も良くなると言いますよね。また、頭も良くて行動も素早いえらい人なんかが信じがたい速度で本を読んで感想を書いたりしているのをWebではよく見かけます。

速読術とかフォトリーディングとか、読み飛ばし術とかライフハックとか色々なテクニックが披露されています。

私はと言えば、たまに面白そうな本を借りてきてはちょこっと読んでは気が散ってしまって最後まで完読出来ないと言うことを日々繰り返してきました。

そんな挫折と期待の繰り返しの中いつしか私は「本は好きだけど自分には向いていないメディアだなあ」と酸っぱいブドウを見る何かのような心境になっていました。

見栄っ張りな私ですからそんなことはおくびにも出さずなんとかぜいぜい肩で息をするように完読したり、或いは途中で敵前逃亡して銃殺されてしまったり(まあ、生きていますけど)という舞台裏はひたすら隠しつつ、感想を書いたりしてきました。

そういうことを繰り返している中で私はこの本についに今年出会ったのです!出会って感動し、私は、まだ完読、もとい完全聴(ちぢめると浣腸?)はしていません。(あ、石投げないで)

しかし、是非このオーディオブックの存在を私以外にも伝えたいと思ったのでした。

どんな本?

「まくら」にまつわる様々なお話しです。

タイトルにある「まくら」という言葉ご存じですか?ご存じの方もいらっしゃると思いますが、「まくら」は落語の用語の一つです。

他の言葉で言い換えると「つかみ」であるとか「ウオーミングアップ」であるとかそんな感じのものですね。落語ではいきなりお題の噺をを始めることはまず無くて最初に「まくら」から始めます。

「何故、そんな面倒くさい手順を踏むのかしら?合理的に考えれば、いきなり主題を話し始めてなるべく噺を味わって貰うのがいいのじゃないか?」そう思った人がいますでしょうか?うん。実に合理的ですね。

或いは「おいおい、落語に「まくら」があるなんて当然じゃ無いか?アレが無ければ落語じゃ無いよ。物事には順序とかわびさびとか形式美があるんだよ」そう思った人もいるでしょう。

更には私が想像し得ないような「まくら」への思いを抱いた方もいらっしゃるかもしれません。色々とあっても全然おかしくないと思います。

まあ、いずれにせよ「まくら」っていうものは実は噺のための繋ぎといいうだけの位置付けではないんです。

その部分はビジネスにおけるプレゼンなどでも使える技術なり心構えなりにしていけるんじゃないかなあってそういうお話しをこの本では聴かせてくれるのです。

ちょっと興味が湧きませんか?

この本では実際に本の作者が読み聴かせしてくださいます

なんと、この本では実際に本の作者が読み聴かせしてくださいます。落語家「立川志の春」さんが、あたかも落語を一席するような語り口で本を読んで下さるのです。

これ、凄い贅沢じゃあありませんか?

私にとって初オーディオブックでしたけど、こういうのが普通なんでしょうか?

私は読書は苦手でも、ラジオドラマや読み聞かせは連続物でも楽しんで聴いていました。言の葉なんて言いますが、実際に人の喉から、お腹から出てきた言葉というのは聞き手に響くんです。

ましてプロの噺家さんで作者が読んで下さるなんて「おいおい、マジかよ?!こんな幸せはなかなか無いぞ」という幸せいっぱいな心境にくるまって寝転がって聴きながら感動しておりました。

「まくら」は何故大事なのか?

本を実際に聴いて頂きたいのですが、私の言葉で「まくら」の大事さについて理解したことを書きますね。

人は聴く体勢をなかなか取らないし取れません

まず、人ってそんなにすぐ気持ちが他人の言葉を受け入れられるように出来ていないんです。

だって、別人でしょう。そりゃあ、普段から人間は他人より自分です。勿論そうじゃない人がいることも承知していますが、それでも話し始めから前のめりで噺を聞いてくれる人なんてそんなにいません。

元々の大ファンだって難しいのですから、今初めて会ったどこかの知らない人の話なんて左の耳から右の耳へ通り抜けるか、それ以前に言葉であることすら認知されないかも知れません。

あなたはお客の顔、話し相手の顔を本当に見ていますか?

次に、喋る人の立場から言うとやはり客の反応は大事なんですよ。

この人はこういうこと興味なさそうとか、ああこれなら笑ってくれるんだ、なるほどここはわかってくれてるなとか。

そう分かると本題の噺にどう繋げていくか、本題の噺の表現の仕方や構成の仕方、場合によってはオチ、結論の見せ方も変えるなんてことも出来るかも知れません。

そりゃあ伝統的なおはなしや準備したとおりに事が進まないのが気に入らない人もいるとは思います。

でも、聴かないで貰って次にどうにかするなんてこと出来ますでしょうか?

伝えることに真面目に向き合ったとき「まくら」は大事

力業で振り回したり言うことを聞かせる力量や立場があるなら出来るかもしれません。

でも、そんなパワハラ紛いな喋りじゃあ聞き手は嫌ですよ。聴いているふりをして首を縦に振りながら鼻をほじったりあくびをしたりするんです。(まあ、鼻血だしたり怒られたりするでしょうけどね)

私たちが何か意思を伝えるって意外と難しいし、コツ次第でトントン拍子で進んだりするものなんです。

そのコツというものの1つがが噺の「まくら」であり「話しのまくら」なんです。これが伝えるという会話で会って話す上でとても重要な役割を果たす鍵となる存在なのです。

私が言っても説得力にかけるでしょうけれど、この本を聴いてみてください。きっとその楽しさを笑いながら理解し首を本当の意味で縦に振ることになると思います。

私の感想とお伝えしたいことは以上となります。

最後に

実はこの記事は今年2018年最後の記事になる見込みです。ですので、ちょっとしたオマケをつけておきますね。

では、ご挨拶を。今年もとてもお世話になりました。ありがとうございます。朝にもつぶやきました。

本当に辛いことも素敵なこともあった、一言では表せない私にとっての乗り越えるべき何かが沢山あった年でした。
来年もまたよろしくお願い致します。皆様も良いお年を。

記事は終わりますが、色々瀬戸際まで何かやっていると思いますからお相手下さい。今年も来年もその先も尽きるときまで。


DAC拝(だっくはい)