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葛藤と確執!人間がどう生きるかのヒントは案外牛の生態の中にあるのかも

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こんにちは、DACです。

今回は、牛の実験の感想を書いてみます。

そう書くと我がブログの盟友ホルスタインおじさんがギョッとすると思う。「いつ、俺は実験されたんだ?!コリドー街でしこたま飲んだときか!!」などと聞いてもいない私的な何かを晒す可能性もある。それはそれで面白い。

でも、残念。あなたがテーマでは無いし鎌をかける意図も無い。かといって食肉であるとかチーズの話でも無い。小生食べるの大好きだからそっちの話もしたいけど違う。

今回のネタ元

www.sankei.com
『Chaos』誌に2017年6月20日付けで掲載された牛の群れにおける個と全体の行動原理を書いている。普通の想像するのどかでスローライフで穏やかな牛の群れの暮らしは、現実とは違うようだ。新たな数理モデルによれば、牛の群れは見た目に反してきわめてダイナミックであり、そこでは利害対立を背景に、静かなる闘いが繰り広げられているとのことだ。

なんか一皮剥くとドロドロした昼ドラみたいな流れになるのかと思ったけど流石にそこまでぶっ飛んではいない。

概要

  • 数理モデルで牛の集団を分析した
  • 牛の個体のニーズと群れのニーズは一致しない
  • モデル化することにより検証コストを削減
  • 群れのニーズは個体のニーズより優先されるが、それは個の総和ではない。個体の行動が群れの創発的行動(シナジー(相乗効果))を生む
  • いずれひとつの種ではなく、壮大なスケールで展開する生物種間の相互作用をモデル化検証、数理解析が解明を目指す

所感

モデル化検証や数理解析が複雑系であり創発的行動の分析にどう役立っているかという話が主体のコラムではある。個人的には牛の具体事例についてもっと深く細かく書いてくれた方が食いつきやすいなあと思いつつ、興味深く読んだ。

群れはリスク回避のためにある


牛がとりうる状態を、次の3つと仮定してみよう。草を食べながらうろうろしている。何かをじっと見つめながら突っ立っている。ねそべって休んでいる。各個体はこうした行動を、どれも好きなだけやることができるが、それは単独でいるときの話であって、牛はそんな風に生きる動物ではない。牛は集まって群れをつくり、捕食者に対抗する。

「牧場にいるなら人間以外の捕食者はいないし、それを警戒してもどうにもならんだろう」と小生は身も蓋もないことを考えたが、それは話を根底からひっくり返すのでさて措く。

要は色々勝手気ままに固体の牛はしているように見えるけど、それでも捕食者に捕まって食べられてしまうリスクを想定しているのだ。牛のように群れをなす動物はリスクを最小化し、且つ可能な限り個体のメリットを実現するために群れを成している。

個体の都合は群れの中でどう消化されるのか

また、個体差もある。記事中ではざっくり二分している。早く食べる牛(身体が小さい子牛や雌牛)とのんびり食べる牛(大人の雄牛)は都合が違うとしている。小さな牛ほど早く食べ終わり、早く消化し、次の場所に移動しようとする。「個々の牛のニーズと、群れ全体のニーズの間に、ある種の対立があるのです」


ボルトらは、このようなせめぎ合いがもたらす結果をモデル化した。大きな群れは、食べるのが速い牛と遅い牛の2つのグループにわかれる傾向がある。それに加えて、一部の個体は群れから群れへとわたり歩く。これは一定のペースで食べたいけれど、安全のためには群れの中にいるべきという葛藤に直面するためだ。「どちらを選んでも、最高の幸せは手に入らないのです」

なんか身につまされる話になってきた。学校や会社の中に色々な人がいる。その中にはグループや派閥があって、その中にいるメリットもデメリットもある。だから、時に一人で飛び出してみたり、別のグループに移動したりする。もっとダイナミックだと転校やら転職に至る。ついでに転居をしてしまったりもする。

牛の場合も同じ。どっちを取るかと言われて、「それでも俺は自由で好き勝手やりたいんだ!俺の幸せは自分の角で取る!!」と群れから外れ、一匹狼的なはぐれ牛になることもあるのだろう。

とはいえ、群れあっての牛だから基本は葛藤の中で群れに属しつつどう立ち回るかという話になるのだろう。「どちらを選んでも、最高の幸せは手に入らないのです」というのはエリック・ボルト氏の解釈で、もっとハッピーエンドを目指す人には異論・反論があるだろうけど個人の解釈だし、あくまで牛の話だからね。

数理モデルを使うことの面白さ


「このモデルのユニークなところは、牛をある種のコンデンサーとして扱っている点です。貯め込んで飽和すると、放電し次の状態に変化します」と、ボルトは述べる。「バウンドするボールのようなものとも言えます。飛んでいったボールは、地面に当たると、その衝撃で状態が切り替わり、また別の挙動を示します」

例えの一つ一つが独創的で且つユーモラスだと思った。牛や人間を見たまま、知っているままに捉えるのではなく無機物の機能に当て込んでいく。こういった視点は一般生活ではなかなか得られない。

素朴に牛の群れと個体では利益相反するかもなあという着想に辿り着くこと自体は凡庸な人間でも可能だ。しかし、食事というインプットから消化し、排出という廃棄物のアウトプットまでをコンデンサや他の処理系で考えるというのはとても刺激的だと思う。

そうというのも、これは当然人間の様々な所作にも応用が利くからだ。例えば、インターネットというのは複数の電子機器をノードとして繋がる複雑系の群れだけど、そのエンドポイントは個々の人間なのだ。情報観点もあれば感情による共感系ネットワークでもある。そこには当然インプットとアウトプットがあり、様々な経路にコンデンサのような抵抗もある。抵抗は減損もすれば拡張もするし、全く別物に変質させるものもある。そもそもが一個の個人ですらその中に複雑系を内包している。だけど、それですらいずれはモデル化によってある程度の解釈や予想が成り立ち得るのかも知れない。


研究者たちは、生態系に蓄えられた膨大な量の情報の解析に取りかかっている。空を舞うムクドリの大群や、バクテリアの規則的な旋回、魚の群れの動き。これらは始まりにすぎない。複雑系科学はやがて、鳥の大群やおなかをすかせた牛の群れよりもはるかに複雑な相互作用を、研究者がモデル化する際の指針となるだろう。その対象とは、ひとつの種ではなく、壮大なスケールで展開する生物種間の相互作用だ。

特定の種だけに限らず、世界は様々な生態系が織りなす壮大且つ複雑な相互作用によって成り立っている。人に手を出すよりまずは先はこちらなのかもしれないし、同時進行で解明されていくのかも知れない。とはいえ記事の最後は謙虚かつ現実的、そしてとってもキュートだ。

だが、いまはとりあえず、牛を見直すことにしよう。牛もいろいろ考えているのだ。

終わりに

目を通して貰えば分かることだけど、小生はこの分野の知見はゼロだ。だから的を外した話を書いているような気もする。

でも、人と人の関係性というのがこれまでの歴史を作ってきたことくらいは知っている。だから、人間のこれから先を作っていくのも人と人との関係性をどう取り持っていくかに掛かっているのだと思っている。その中で客観的なアプローチとしてこういった取り組みがあるということを知るのは拾い物だろう。今すぐどうという性急な物では無くとも、考え方に幅を増やす助けになると思った。