Twitterでのコミュニケーションには諦めと前提が必要だと私は思う
こんばんは。今日は今日とて眠いですが、軽く覚書きをします。殆ど貼り付けで恐縮ですがまずは一例見て頂きたいです。
私が誤解して突っ走った一例
会社の帰りがけ、とあるつぶやきのRTが目に入りました。それは私には聞き捨てならない言葉でした。
これはプロ野球選手に向かって「キャッチボールできなくてもプロになれますよね」って言うのと同じくらい愚かなことだと一人でも多くの人に気づいてほしいです。
— 山下えりか@英語・通訳講師&同時通訳者 (@e_yama_tsuyaku) 2018年11月4日
正直にその時に心に浮かんだ言葉を書くと「何だ、この糞Tweetは?!!!!」でした。私は小心者なのでこのつぶやきにリプライをすることはせず、自分の思いを通常のつぶやきで書き連ねました。
文法は勿論大事ですね。そこは否定しません。でも、そもそもが会話したり、英語で交流しようとする気力、意識、状況があるかどうかの違いは大きいですよ。英会話力と英語力が違うというのはきっと正しい。ただそれはどちらかが欠けて良いという意味では無いし、まず何を目的とするかの違いがあります。
— DAC(InOtherWords,"daccot""ダックん"All of them are OK) (@daccot) 2018年11月5日
文法の不正確さに恥ずかしさや習得を臆させる要素は否定できないと思います。それが理由で会話をしない、交流を避ける、日本語のみに閉じこもるのは勿体ないです。ここでいう文法の不正確さがどの程度を指すかを擦り合わせないことには、そもそも提言の意味は無いでしょう。
— DAC(InOtherWords,"daccot""ダックん"All of them are OK) (@daccot) 2018年11月5日
勿論、英語の教育に携わるとか英語を翻訳するプロであるなら文法が怪しいというのは言語道断です。しかし、相手と意思を疎通させるために使うツールの範囲でそこを全てのように扱うのは、アマチュアの草野球レベルの人に対してプロと同じに出来ないと意味が無いとするのと変わりません。
— DAC(InOtherWords,"daccot""ダックん"All of them are OK) (@daccot) 2018年11月5日
恐らくですが私の英語力などそれこそプロから見てデタラメで、指摘されれば恥ずかしくて穴に入りたくなるでしょう。そういう流れを広く多くに望んでいらっしゃるなら、全く同意できないお話です。単に私の勘違いなら、申し訳ないのですが😅
— DAC(InOtherWords,"daccot""ダックん"All of them are OK) (@daccot) 2018年11月5日
まあ、縁もゆかりも義理も金銭関係もない方が何を言おうが知ったことじゃないです。でも、久しぶりにイラッときました。あーヤダヤダ。
— DAC(InOtherWords,"daccot""ダックん"All of them are OK) (@daccot) 2018年11月5日
何故私はこんなにムカついたか?
何故こんなにムカついたのか、背景を書きます。私は学校教育で英語は3+3+2=8年勉強しました。しかし、会社に入った後、ごく最近まで英語で会話をすることも文章のやりとりをすることもありませんでした。
何回か英語が出来るようになりたいなと思って試行錯誤したことはあります。英語教室に通ったり、英語の教材を買って勉強したり、ラジオ講座を聴いてみたりしました。
しかし、それらは全くもって続きませんでした。私の根気が皆無に等しく飽きっぽいという残念な気質によるところが大きいと自己分析しています。
しかし、今年の4月異動で海外販売会社のプロセス解析、解決を担当する部門の所属になりました。正直なところ「何で私が?嫌だ!!逃げたい!!」それが辞令を受けてから実際に異動するまでの私の心持ちでした。
実際に物理的に異動してますますその思いは強烈になりました。何故なら、周りの同僚は私から見るとネイティブかと思うくらい英語を堪能に喋る人ばかりだったのです。実際、帰国子女率がめちゃくちゃ高いのです。
私はと言えば、国際電話をするなんてとんでもない、自分が受けるのもご勘弁という体たらくでした。
そりゃそうです。「何年どころか何十年英語と無縁だったと思うのですか?」と内心この人事を行った上司に伝えたくなるくらい当時は恨めしい気持ちで一杯でした。
現在は11月です。曲がりなりにもネイティブと国際電話、電話会議、直接のプレゼン、仕事以外の世間話やプライベートとの会話をこなすようになりました。
その一方で中国語も簡単なものに限りますが会話を出来るようになりました。
さて「文法は?」と問われると正直自身が殆どありません。日々どころか四六時中英語でしか喋らない環境におかれていますから、それどころではないというのが正直なところです。
「文法は不要。単語を並べれば通じる」と言い張る人がいて、その人は本当に単語をただ並べているだけなんだけど、それをこちら(聞き手)が文法の知識を総動員させてきちんとした構文に当てはめてあげて聞いて差し上げているのだぞ。聞き手にどれだけの負担と迷惑をかけていることかわかっていないのだ
— 林 剛司 (@Haya_Take) 2018年11月4日
この方のRTにはこういったことも書かれていたのが怒りを助長しました。そりゃそうでしょうよ。
私の拙い英語はそりゃ恥ずかしい。恥ずかしくても伝えなければならない状況にあって、「こちら(聞き手)が文法の知識を総動員させてきちんとした構文に当てはめてあげて聞いて差し上げているのだぞ。聞き手にどれだけの負担と迷惑をかけていることかわかっていないのだ」なんて台詞をスルッと飲みこめる訳がないでしょう。冗談じゃあありません。
あなた方は誰に対してその他者を貶める言葉を吐いているのか?怒りで目の前がクラクラするくらい怒り心頭状態になりました。
確かにあなた方は英語が堪能で正しい英語の普及のため日々努力しているのでしょう。だから、いい加減に適当な姿勢で「文法なんか分からないで大丈夫」という無責任な言葉の拡散が許せない。それは理解出来ます。
しかし、それは英語を使おうとしている人に対して萎縮をさせる言葉であってはなりません。いい加減なことを言ってお金を稼ごうとする人を非難するのは別におかしいことではありません。
ただ、何とかコミュニケーションを取ろうとして無きに等しい英会話力を発揮しようとしている人にまでぶつける気であるならば、私は決してあなた方には同意しません。
そんなことを本気で相手構わず行っているならば、あなたたちこそ他人のコミュニケーションを必要以上に貶めているガンだと断言しても良いでしょう。
少なくとも「山下えりか」さんはそういう人では無いようです
彼女のウェブサイトには彼女が英語教育について考えることをコラムとして掲載しています。例えば、以下の記事です。
e-yama-j.jimdo.com
題名だけ見ると「英語力>>>>>英会話力」という感じでコミュニケーションを軽視し、とにかく厳密であるべしというように見えてしまいますが、実はそうではありません。
殆ど全てと言って良いほど、私がこの7ヶ月で感じてきたこと、体験してきたことから首を縦に振ることしか書いてありません。
「そうそう。こういうことだよ!何でこういう人が”英語のプロは口を揃えて「文法は大事」と言うのに、「英語に文法は必要ない」と言うのは大抵、英語ができない人、苦手な人、失敗した人、もしくはそういう人達を食い物にする金儲け主義者達。”みたいな誤爆しそうな言葉遣いをしてしまうのか理解出来ない」と思いました。
そこで、はたと思ったことがあります。
Twitterでは複雑な思いやバックグランドがあるような内容の伝達は非常に向いていない
これだから、Twitterの言い切りは嫌だよ。この記事は私の思っていることと一から十まで一緒ですよ。断片だと話の流れが伝わりにくいし、あまりキツい言い切りは対象外に無制限に伝わりますから、伝え方をよく考えた方が良いですよ。
— DAC(InOtherWords,"daccot""ダックん"All of them are OK) (@daccot) 2018年11月5日
「英語力=英会話力」ではない https://t.co/MPA0uWzRZG
つくづく断片でコミュニケーションを取ろうとすることは、非効率だと思います。なるほど拡散や共感の連鎖反応は凄いけれど、誤解が挟まる余地があまりに大きすぎる。会話をすれば一瞬で解決することも一方向になりがち。つぶやきだからというのは言い訳に過ぎません。
— DAC(InOtherWords,"daccot""ダックん"All of them are OK) (@daccot) 2018年11月5日
そりゃ、一つのつぶやきではなく複数のつぶやきを重ねれば、何を意味するかは明確化出来ます。でも、一個一個は断片です。その繋がりはツイログみたいなものを見ないと非常に俯瞰が難しいです。
また、普段から言葉を交わしてコミュニケーションを取っている間柄なら「この人は何に喜び、何に怒り、何に哀しみ、何を楽しむか」は自ずと分かるようになります。
しかし、Twitterは断片に対してそれだけを取り出して拡散が行われ、前後関係を追って理解するにはとても向いている表現場所とは言いがたいです。
私が今回思ったのは「Twitterでは複雑な思いやバックグランドがあるような内容の伝達は非常に向いていない」ということと「私はやっぱり気が短い」ということの二つでした。
二つ合わせると表題「Twitterでのコミュニケーションには諦めと前提が必要だと私は思う」です。オチとしてはつまんない話ですが、もしかしてこれが他の誰かに役立つと嬉しいなと思いつつ自分が見直すために覚書きにしました。