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自分は自分、他人は他人をいつでもどこでも通そうとする人は損をする

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こんにちは!DACです。

今回は、ある記事から発想したちょっとしたオピニオンです。

今回のネタ元

digiday.jp

概要

2016年11月にP&Gがくさやの干物と自社消臭剤「ファブリーズ」を対決させる広告をオンエアした。くさやの干物といえばご存知かと思うが、においがきつい食べ物の代表格だ。名前の通り「臭い」のが商品の個性であり、その上で美味しいということで存在感を持っている。この広告ではその半端でない「臭さ」すら打ち消してしまう「ファブリーズ」の優秀な消臭性をアピールするものだった。

しかし、食べ物の臭さを大袈裟にアピールしたことで「不謹慎」「生産者を馬鹿にしている」という声が上がり炎上を起こした。P&Gは即座に危険を察知し、広告を取り止めた。それだけではなく問題視された点を率直に承り、状況を正しく解析し、生産者と相互理解の上新しいPRを成功させるに至った。そのプロセスをデジタル化した社会が「関心の増幅装置」となったいまに適合したコミュニケーションのモデルケースとして仔細に紹介している。

感想

これは企業の炎上対策に限った話ではない

誰もがSNSやブログ他様々な手段を通してネット上で個人が何かしらの出力が出来るようになって久しい。もし、主体的にネットに関わっていなかったとしても何かしら他者から「これはちょっと?」と訝しげに思われる問題行動や、目立つ奇矯な行動を取れば、スマホ等から即座に共有が行われ炎上となることも珍しくない。

炎上することというのは別に企業の専売特許ではなく、誰にでも起こりうるリスクと言える。

炎上まで行かなくても異論が出ることはままある

ブログに絞って話をすると、更新頻度が高くなればなるほど、また閲覧数が増えれば増えるほどそういった衝突は避けられなくなる。

ブログを書いている人と閲覧者の間では同じ判断のバックグラウンドを共有できていない場合も多い。また、ブログは閲覧者の関心を買うために表現が過剰であったり、退屈な一般常識の羅列ではなく偏ったスタンスを示そうとするものが多い。

普段からそのブログを良く見ている閲覧者であれば多少の逸脱も「ああ、ちょっとイキってるな」くらいの受取りで済むことも、SNSの拡散やバズなどで多くの一見の衆目を浴びる機会を得ると途端に炎上係数が跳ね上がる。あるいはそこまでいかなかったとしても、書き手の想定から外れた異論が出たり、表現の不足から誤解を受けることは珍しくない。

P&Gの事例から学ぶこと

炎上や異論の発生は止めることは出来ない

最早常識と言って良いことだけれど、一旦発生したものを即座に消し去ることは出来ない。また、即座に消し去ろうという意図を感じさせる行為、例えばパニックになったり、もみ消そうとしたり、ダンマリしてしまうことは火に油を注ぐことになる。

そもそも炎上はともかくとして、閲覧者がある程度の量を超えて異論が出てこないのはむしろ異常事態と言って良い。逆に言えば、異論が出てきてようやく一定数の目に届いたという測り方をすることが出来る。

どれだけ表現に気をつけて論理の穴を潰しこむよう完璧を期したところでいずれ異論発生の閾値を超えるものだし、それを然るべき顛末だと捉えないと発信などは出来ないと思って良い。

P&Gがモデルケースになる点

繰り返しとなるが、以下の点がP&Gの危機管理及び好転化から学ぶことが出来る。

  1. 「危」:炎上や異論の発生を認知し、初動対応を行う。
  2. 「承」:炎上に含まれる非難や異論をうけたまわる。何を指摘されているかの意を汲み取る、どの程度の母数からの指摘か数量ベースで正しく把握する。
  3. 「転」:承った内容や要素から関係者の損益構造を分析し、実現可能で好転可能な材料・解決策を検討する。可能であれば協力者・賛同者として巻き込む。
  4. 「結」:検討した中で最善手と想定されるものから実行し、改善に結びつける。

こう書いてしまうと大仰で「自分は個人だし、そんな難しいことは出来ない!そんな手間もかけたくない」と思うかもしれない。しかし、これはあくまで企業としてのモデルケースに過ぎない。

学ぶべきは、自分と違う考えを持つ相手が何を訴えているかを知り、そこから拾えるものは拾ってみる姿勢だろう。最初から上手くいくことは期待せず、承ることを試してみるのが良いのではないだろうか?

自分は自分、他人は他人をいつでもどこでも通そうとする人は損をする

ブログは自分が書きたいことを書く場所だから、自分は自分、他人は他人、どうせ分かり合えることも無いし、趣味や遊びでそんなに堅苦しくやりたくない…という意見も当然あると思う。

また、自分は自分なりに正しいと思っていることを書いているし、批判は書いていないことばかりで筋違いだから相手をしたくないと思う人もきっといるだろう。あるいはネットなのだから自由であるべきだというべき論を打ち出す向きもあるかもしれない。

確かに炎上ならともかく異論くらいであれば黙殺するなり拒絶姿勢を示すなりをすればその場をやり過ごすことは可能だろう。自分の考えは曲げず、伝わる人にだけ伝われば良いと考えるのもその人の選択肢ではある。

しかし、それはきっと「勿体無い」ことであり、せっかくの機会を台無しにする「わざわざ損を取る行動」なのである。

オンラインに夢を見すぎては間違える

自分はWEBとオフラインのやり取りとの差というのは存外少ないと思っている。実名でなかったり、直裁的であったり、拡散しやすいといった文化的、機能的な差異はあるけれど、所詮それは本質的な変革は起こしたりはしない。自分の考えを示し他者が受け止めるというプロセスは本質的には変わらない。

だから、自分だけが語り相手だけが受け止めるという一方向的なものを期待するのはイビツ過ぎる自分本位な姿勢だと捉えている。勿論、批判する側自身もネットだからそういう態度やスタンスを取っている場合も多々あるけれど、何かを感じ伝えたいから批判であろうと辛辣であろうと反応を返している。

ネットだから自由だと思うのはその人の勝手だ。自分はそれを浅慮の極みだと思うし、ネットが自由だからこそ自分が意識的に自他の差を見るべきであると考える。

まずは何があるのか見定めよう

その前提に立って見るならば、それが揶揄であろうと悪罵であろうとそれなりの理や背景がある。共感をする必要は無いけれど、承ることは最低限必要なことだろう。勿論承った上でも理不尽でどうにも斟酌出来ないものもあるかもしれない。

しかし、反応を返す人も暇ではない。何故そう言っているのかという観点を持つ持たないはその後の行動や結果に大きく差を生むことになるだろう。すべてを分かろうとしても無理だけれど、手がかり、足がかりとなるものはきっとある。

理不尽もあえて聞くというのも有効な戦術になりうる

実は元エントリの考察はまだまだ浅い。同じ題材を扱った記事として以下のものも目を通して欲しい。
diamond.jp

タイトルは非常に残念な感じだが、他社の事例やP&Gの過去の失敗事例など調査の深度はこちらの方が深い。


どんなに企業側に非がなくとも、「被害」を訴える人々の主張をはねつけていると、物事が改善しないどころか、事態が悪化していくという事例が世界中で確認されてきているからだ。

たとえば、2006年にお隣の中国で、ある化粧品に禁止されている成分がつかわれているという風評がたった。まったくの事実無根であり、メーカー側は正当性を必死に訴えたが、やればやるほど「嘘をついている」とか「態度が悪い」とバッシングが高まり、安全性にはなんの問題もない化粧品の返品に応じることになった。

これを「やはり中国にはモンスタークレーマーが多いな」と読み解くと大火傷をする。このケースから我々が学ぶべきは、これからの企業というのは、企業側が「これは正当性がある」と評価する苦情だけではなく、「行き過ぎた感情的な苦情」にも対応をしないと恐ろしい目に遭うという教訓なのだ。

恐ろしい目に遭う教訓なのではなく、着目すべきなのは「行き過ぎた感情的な苦情」を掬い上げることの重要性を認識することにある。

人間は感情と理性を測りにかければ感情が勝つ生き物だ。それを商売等に積極的に活用する手法の一つが「感情マーケティング」だ

今回の提示は、まさにその鏡面ともいえるものだ。負の感情を掬い取って何を求めているか、その理不尽にすら価値付けの素材にしてしまうものとなっている。これは危機管理を超えた情報の活用戦術として有効だ。

これらのロジックが腑に落ちるならば、異論や理不尽や的外れに見える感情の暴走が単なるマイナス、単なる雑音としてシャットアウトするのが勿体無いという考え方への転換も可能になると思う。

終わりに

さて、ここで残念なお知らせだ。

タイトルからここまで通して書いてはいるけれど、実のところこれは自分が実証的に出来ていることではない。感想文を書いている中でこういう捉え方も出来るんじゃないかという仮定に基づいて展開した内容だ。だから、本当に理にかなっているかを確かめた重みは持っていない。

しかし、物事は捉えよう一つで変わる。それは別にこのことに限らず誰でも人生の中で経験してきたことなのではないだろうか?

絶対の効果は保証はしないし出来ないけれど、たまに余裕が取れそうなら試してみても損は無い。案外今まで沢山損をしていたことに気づいてこれからの動き方を変える切っ掛けになるんじゃないかと自分は思う。