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2つの人間の鎖-人と人が繋がるとき、一人では出来ないことがなされることがある

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こんにちは、DACです。

今日は人の繋がりについて少しお話しします。

最近出来た2つの異なる「人間の鎖」

「鎖」という単語はあまり良い意味で使われないことが多いです。理由は簡単。囚人を縛り付けたり、心の呪縛の例えであったり、何かしら自由を奪うための道具或いは象徴として使われることが多いからです。理由が何であれ自由を奪われることは、個人にとって苦痛で嫌なことです。個人は個人として一人一人自由でありたい。

でも、今日ご紹介する「鎖」はそういうニュアンスはありません。「人間の鎖」は人と人が繋がることで一人では出来ないことをなすために自然に出来上がったものです。

1つは人を救うための、もう1つは訴えを形にして見せる「人間の鎖」です。

波にさらわれた9人を救った100メートル70人の「人間の鎖」

7/8米南部フロリダ州パナマシティービーチの海水浴場で、遊泳中だったロベルタ・アーシュリーさんを含む家族連れ9人が次々に離岸流に捕まり沖に流されました。その際ビーチに居合わせた海水浴客など70~80人が安全な浅瀬から沖合に向けて手を繋ぐことで100メートル近くの「人間の鎖」を作って救出しました。
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事の経緯は次の通り。元々は家族の中の息子2人が離岸流に捕まって沖まで流され自力で戻れなくなり、救助しようとした両親、祖父母が相次いで二次遭難状態となりました。当初、警察や救急隊も到着し、警察官1人が海に飛び込んで救助に向かおうとしたが、途中で断念して引き返した。ボートが到着してから救助に当たるという流れになりました。

しかし、緊急を要する状況を見かねて、海岸にいた第三者の海水浴客がが次々に救助に向かいました。最初は数人だったが、次第に加わる人が増えて一列の家族を救うための鎖を形成し、救助を完遂し被害者を生まずに事なきをえました。

普通に考えればリスクしか無い行為ですが

当然参加した人々はお互いに見知らぬ同士で利害関係もありません。普通に考えればリスクしか無い行為です。「人間の鎖」は安全な浅瀬から繋がっていたとしても大きな波を受けたときにそれに耐えられる保証などありません。それどころか更なる三次被害を数十人単位で発生させる恐れもありました。結果良ければ全て良しとは言いますが、この行為が本当に正しかったのかは怪しいと思います。

しかし、ボートの到着を待った場合被害者がゼロでは無かったかもしれません。高齢の祖母は心臓発作を起こして入院となったそうですから状況は相当逼迫していました。こういう「たられば」は無意味かもですが、結果的にこの行為で祖母の命はギリギリ救われたのかもしれません。

ベルギー原発停止を求めた90キロメートル5万人の「人間の鎖」



ベルギーの老朽原発2基の即時停止を求めて、ベルギー、ドイツ、オランダの約5万人が6月25日の午後、一斉に手をつなぎ、3カ国90kmにわたる「人間の鎖」ができた。2基の原発では2012年来、圧力容器に多数のひびが発見され、近隣諸国の自治体が共同で提訴した。これらの自治体の住民や政治家が「人間の鎖」を主催したが、ベルギー政府は国内に2カ所7基ある原発の早期停止には応じておらず、対立が鮮明になっている。(ベルギー リエージュ=川崎 陽子)

即廃炉求め、欧州3国合同反原発デモ — オルタナ: ソーシャル・イノベーション・マガジン!「オルタナ」」によると、圧力容器に千単位のひびが見つかった原発2基が昨年夏から停止していたが6/5から再稼働開始したことに端を発します。ヨーロッパのことで日本には関係ないかというとさにあらずです。


福島県出身でベルギー在住の女性の夫(ドイツ人)は、「福島でがん患者確認の公式報道があったばかり。もっと多数になる可能性もある。原発は特に慎重に稼動させるべきで、圧力容器のひびが見つかった以上やめるべきだ」と語った。
日本国内で思われている以上に海外からは福島の状況は衆目を集めており、原発を有する各国の先見事例として意識されています。

Wikipediaで「人間の鎖」を調べると主にこちらの用法で「人間の鎖(にんげんのくさり)とは、示威運動の一種。政治的な抗議や要求を目的として、デモ活動の参加者が鎖のように手をつなぐこと。」とされています。

初出は、「バルトの道」1989年にバルト三国で行われた独ソ不可侵条約50周年を記念してソ連からの分離・独立を要求した長さ600キロメートル200万人参加のものとされていますが、一説には1987年には沖縄でアメリカ空軍嘉手納基地の存在に反対する住民が基地を取り囲んだものが示されることもあります。

所感

小生個人の感想を申し上げると、最初の一声は「胡散臭えぇぇえええええええっつ!!」です。

ここまで書いておいて台無しですが、まあ本音です。何とも言えずむず痒く青臭いものを感じます。弱いものが寄り集まって何かを成し遂げました、偉いでしょ!というどや顔感溢れるニュースだなと思います。特に後者のデモに関して言えば、純粋に状況を憂えている人が大多数なのでしょうけれど、プロ市民的な匂いもプンプン濃厚に漂う気がします。

でも、それでもですね。そうはいっても小生の総論的な感想は表題通り「人間の鎖、人と人が繋がるとき一人では出来ないことがなされることがある」となるのです。

確かに危険を顧みない行為は軽はずみであるかもしれない。でも、善意が生んだ結果によって貴重な人命が救われました。確かに政治的な綱引きはきっと裏には沢山あるだろうけれど、集まった人たちの思いはきっと嘘は無かったし一瞬かもしれないけど手を繋いだ5万人の心も繋がったのかもしれない。

何事も一つの見方だけで斜に構えて上から俯瞰するのは簡単です。

でも、人が実際に集まって繋がると言うことには夢があると思うのです。一人で分かったようなことを言っている人が何かを成し遂げる可能性は限りなく低いけれど、実際に動く人たちが手を繋げば何かを成し遂げるための素地を作ることが出来る可能性がある。その姿に、その背中に夢を見てしまう人がきっといると思うのです。イマドキ子どもに見せられる背中を持っている大人は少ないです。もしかすると昔からそうなのかもしれませんけどね。

たまには精一杯見栄を張って大汗かきながら「大したことなかったわ」と言える何かを成し遂げられたらいいなと思いました。(いつでもはしんどいし無理)
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